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名前 |
道灌橋跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
道灌橋跡です。この付近は太田道灌が江古田・沼袋の戦いの後、石神井城を攻めるため愛宕山城に入る前日に宿を取った場所という事で、現在は暗渠になった妙正寺川が水堀の役割となり、また水場ともなったのでしょう。このサイズの石材を4本渡して橋にしていたという事で、万が一焼かれる心配もなく、神社に奉納された力石などを見ると、当時の鍛え抜かれた将兵なら数人がかりで橋の取り外しをして撤退もできる、合理的な設計だと思います。碑文の日付から推察するに、ここが暗渠になったのは1979年なのですね。昔のように下水を垂れ流しにする方式もなくなったので、できればかつての川の流れを復活してほしいとは思いますが…それも難しいのでしょうね。[碑文]文明9年(1477年)春よりここに五百年の石材はもと4本の石橋であった一つである。昭和53年(1979年)11月吉日。