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名前 |
豊島氏累代の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
平安朝末期から、鎌倉、室町時代にかけて武蔵の地一帯に勢力を誇った一族、豊島氏のお墓とされています。豊島氏は元々は秩父氏の一族で、稲毛氏、畠山氏、河越氏、江戸氏など多くの氏族と同様に武蔵国各地に進出した武士団の一つだそうです。南北朝時代から室町時代には石神井城や練馬城を居城としていたそうですが、文明10年(1478年)に太田道灌に攻め落とされ落城。「足立から北に逃亡し、以後行方不明」とされ、行方知れずとなり豊島氏本宗家は滅亡、歴史から姿を消しました。ところが!!!江戸時代になり豊島氏の子孫を名乗るものが現れ、徳川氏に仕えて旗本になったそうですが、この旗本豊島氏と豊島氏本宗家との系譜の信憑性については疑問とされているそうです。ここのお墓は「旗本豊島氏」の累代のお墓と言うことになるようです。