江戸五色不動の目赤不動尊。
南谷寺の特徴
東京都文京区本駒込に位置する天台宗のお寺で、目赤不動尊が本尊です。
江戸五色不動の一つとして知られる目赤不動尊が祀られています。
南谷寺は関東三十六不動の第13番札所として参詣が可能です。
関東三十六不動尊13番札所として参詣させて頂きました。
江戸五色不動のひとつ目赤不動尊。元々は赤目不動尊だったそうで、徳川家光公の指示で目赤になったとか。小さなお寺ですが、清々しい気持ちにさせられるお寺です。
4年ぶりの目黒不動の帰り、❗❗思い出したのである。駒込の吉祥寺から本駒込駅への道すがら、本郷通りの向こう側に赤字の赤目不動尊の文字と、通りからの下った先の本堂。黒があれば赤もあるなと確信した。赤羽岩淵駅から南北線に乗り、門の前に立った。都市部の寺院特有の狭い敷地に、赤目不動尊は存在した。案内の石碑で江戸五色不動尊の゙存在を確認した。
最寄り駅 地下鉄南北線 本駒込駅徒歩5分 拝観料は無料 トイレ無し山号 大聖山宗派 天台宗本尊 阿弥陀如来、不動明王正式名 大聖山東朝院南谷寺別称 目赤不動当寺院は、元和2年(1616年)に比叡山の南谷にいた万行律師によって開かれた。彼は熱心な不動明王の信仰者であった。言い伝えによるとある夜、伊賀国(現在の三重県)の赤目山に行くよう夢でお告げがあり、赤目山の山頂で祈願していたところ、天から一寸二分ほどの黄金の不動明王像を授かったという。寛永5年(1628年)鷹狩に訪れた三代将軍・徳川家光によりそれまで「赤目不動」と呼ばれていた、当寺の不動明王を目黒不動・目白不動にちなみ「目赤不動」と呼ぶように言われ、かつ現在の地を与えられ「大聖山東朝院」と号するようになった。天明8年(1788年)に上野の寛永寺の直末寺になると同時に、「南谷寺」の寺号を与えられた。との事です。大きくは無い境内ですが綺麗に整備された素晴しい場所で石仏、石塔等は古そうな物でした。
ここには、江戸五色不動の1つの目赤不動尊があります別に目が赤いお不動様ではありません。江戸五色不動では目黒不動尊以外はあまり有名ではないため他はネット等で調べてから行くといいでしょう。
東京都文京区本駒込にある天台宗の寺院、『南谷寺』さん。山号は大聖山。院号は東朝院。大聖山東朝院南谷寺。江戸五色不動のひとつ目赤不動。●山号: 大聖山●名称: 大聖山東朝院南谷寺●住所: 東京都文京区本駒込1-20-20●宗派:天台宗●本尊:・阿弥陀如来(本堂)・目赤不動明王(不動堂)●創建年: 元和2年(1616年)●開基: 万行律師●別称: 目赤不動●札所等:・江戸五色不動・関東三十六不動第13番●由来:・万行律師は、ある夜、伊賀国の赤目山に行くよう夢でお告げがあり、赤目山の山頂で祈願していたところ、天から一寸二分ほどの黄金の不動明王像を授かったという。・1616年、比叡山の南谷にいた万行律師により下駒込の地に庵を結び、不動明王像を安置し開山。・1628年、徳川家光によりそれまで「赤目不動」と呼ばれていた、当寺の不動明王を目黒不動・目白不動にちなみ「目赤不動」と呼ぶように言われ、かつ現在の地を与えられ「大聖山東朝院」と号するようになった。・1788年、上野の寛永寺の直末寺になると同時に、「南谷寺」の寺号を与えられた。・1945年、第二次世界大戦による戦災で本堂、不動堂などが焼失したが本尊は難を逃れた。・1958年、本堂再建・1983年、不動堂再建●御朱印:・寺務所にて、『関東三十六不動第13番』の書き置きの御朱印を拝領。・関東三十六不動用御朱印帳サイズなので、普通の御朱印帳に貼るには加工が必要。
名前 |
南谷寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3942-0706 |
住所 |
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HP |
https://www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/spot/jisha/nankokuji.html |
評価 |
3.9 |
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南谷寺は天台宗のお寺で本尊が目赤不動尊であることでも知られている目赤不動尊は江戸五色不動のひとつであり、関東三十六不動第13番不動でもありますお寺を開いた万行律師は熱心な不動明王の信仰者で、ある夜に夢の中で伊賀国(現在の三重県)の赤目山に行くようにお告げを受けましたそこで熱心な赤目山の山頂に行って祈願していたところ、天から一寸二分ほどの黄金の不動明王像を授かったとの言い伝えがありますかつては赤目不動と呼ばれていましたが、寛永5年(1628年)鷹狩に訪れた三代将軍・徳川家光によって目赤不動と呼ぶように命じられましたこれは既に存在した目黒不動・目白不動に倣ってのことだと言われています境内では六地蔵尊などお地蔵さんとも出会うことができました。