歴史が息づく桐木橋の丘。
島崎城跡の特徴
島崎城跡は自然石に刻まれた石碑が特徴です。
若神子城と新府城の中間に位置した堅固な城です。
桐木橋を見下ろす丘上からの眺望が素晴らしいです。
石碑があって、登ったところはお墓になっていました。どこが趾なのかわからなかったです。
城趾とはなっているが、説明板なども何もなし。墓地になっていて平和祈願の石碑がある。大きめの川が有り、地形的に砦としては良い地形かとも思われるが、遺構も無く、北条方の城趾なので、武田領地内にあることからあまり興味がそそられない。
北に徒歩1時間ほどで若神子城、南に徒歩1時間ほどで新府城のちょうど中間に位置する城で、2つの川を挟んだ高台に築かれていて堅固な城だったことが想像できます。城内は当時の遺構はなく今は一面墓地で、亡くなった方々の霊を慰めるように石仏や石塔が安置されていて、足元を流れる須玉川とあわさって世の無常を感じました。
本能寺の変で信長が堕ちた後の話。滅亡した信玄の遺領を巡り北条/徳川/上杉の三者による天正壬午の乱が起きる。上杉勢との戦いを終え南下して北条は若神子城~島崎城、徳川は新府城に本陣を置く。北条勢は大軍であったがそれゆえ兵糧不足になり各所で徳川勢に敗れていく。結果島崎城は落城し同年10月、徳川/北条間で和議が成立。流れはカンタンにこんな感じ。遺構は全く残っていない。案内看板も見あたらない。全体が墓地になっているのでちょっと怖いが明らかにここだけこんもりしているの城郭跡?と想像するしかない🐱三方が崖・川に囲まれていて自然を生かした地形。西は塩川と須玉川が流れている。2つの河川は城付近で合流していて川に面した部分は崖になってます。(韮崎泥流ですね!) 西/南/東からは攻めにくく城郭機能よりか地形的防御力が高い!遺構はないけど周辺の河川と地形はちゃんと残っているので、これまた別な遺構として見る楽しさはありました!
【参考 御題目石(おだいもくいし) 郷土史より 昭和8年】9 m島崎城跡の南東隅、桐木橋を見下ろす丘上に 高さ3丈5尺(約10m) 巾1丈5尺(約4.5m) 自然石に“南無妙法蓮華経”と刻して建立せり。石は茅ヶ岳より搬出せるもなりと。嘉永6年(1853年)の建設で信仰の力の偉大なると物語るものである。
| 名前 |
島崎城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
2.8 |
| 住所 |
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「大豆生田砦(島崎城)」。山梨県北杜市須玉町大豆生田。須玉川と塩川の中間地点が大豆生田砦になる。現在は墓地や浄化センターになっており、砦としての遺構は残ってはいないが、砦と古戦場関連の幟と矢穴石はそこに存在していた。天正壬午の乱の時に北条方の勢力がここで戦ったが敗れ、ここから北条氏の敗色が濃厚になっていったらしい。