終戦50周年の記念碑を体感。
終戦50周年を記念して1995年に設置された記念碑。富山県氷見市生まれの彫刻家・田中昭氏による彫刻で、プレートには、「平和記念碑」と題され、「この地には、一九四三年(昭和十八年)帝都(首都)防衛のため成増陸軍飛行場がつくられ 多くの若い生命が空に散っていった。地元住民にとっても のうちを強制買収され 基地づくりに動員された忘れがたい地である。終戦直後の一時期 この広大な地域は米軍キャンプとして接収され米国第十八代大統領グラント将軍にちなみグラントハイツと呼ばれた。その後 多年にわたる変換運動が実り みどりと太陽の武蔵野台地にコミュニティ「光が丘」が誕生した。練馬区は一九八三年(昭和五十八年)に「非核都市練馬区宣言」を制定し 「世界の恒久的平和は人類共通の願い」であるとして「核兵器の廃絶と軍縮」を強く訴えている。本年は戦争終結から五十年 歴史の大きな節目の都市にあたる。この時にあたり戦中 戦後の歴史の激しい流れを見つめてきたこの地に区民の総意を込めて平和の祈念碑を建て 練馬地域の多数の戦没者を悼むとともに 空爆による被災者や第二次世界大戦による内外諸国民の多大な犠牲を省みるものである。ここに練馬区民は 戦争の悲惨さと平和の導きを心に刻み 平和を守る決意を新たにしたい。 一九九五年(平成七年)八月十五日 練馬区」と刻まれている。
名前 |
「平和への祈り」田中 昭 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.nerimakanko.jp/photo/detail.php?photo_id=P000001298 |
評価 |
3.6 |
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この像には意義があるといえば意義があると思うが、無いといえば無いとも言えますね。光が丘団地の住民のほとんどが他所から引っ越してきた人ならば、ここの前身がどうなっていたかなんて知らない事でしょう。それに、日本に返還されてから40年ぐらい経っているんですしね。プレートに書かれていることに一つ疑問があって、米軍キャンプの名称を「18代大統領グラント将軍」の名から付けたとなっていますが、この名称には別のものがあって、グランドハイツと呼んでいた人もいたんです。トとドの一文字違いですけど、グラント将軍なんて古い人の名を付けるかなぁ?ここは陸軍の飛行場だったから陸軍は英語で「Grand Force 」になることからグランドハイツが正しかった気がするんだけど、どうなんだろう?戦前は練馬大根の産地だったというのは聞いてましたけどね。