白丸駅から杣入観音堂へ行こう!
十一面観音堂の特徴
白丸駅から数馬の切り通しへ向かう途中に位置しています。
1981年の書による白丸の観音堂の歴史があります。
杣入観音堂とも呼ばれ、地域の文化を感じられます。
地元の神社わざわざ行く神社ではない。
御朱印無い。
白丸駅から“数馬の切り通し”へ向かう途中に出会った。人通りもない静かな道筋の階段を上がると、小広く切り拓かれた地に小さなお堂が佇む。創建の年代や縁起は不明ですが、風化して木目の浮き立つお堂は、昔、山辺を往来する人たちを見守ってきたかのような雰囲気です。お堂の傍のお地蔵さんの素朴な微笑みに心も安らぎます。“数馬の切り通し”が元禄年間の17世紀末に木材の運搬のために造られたものであるから、このお堂もその頃の建立なのかとも思います。背後の小高い森で、野鳥のさえづりが響きわたりました。
| 名前 |
十一面観音堂 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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❶【参考 奥多摩町誌資料集 3 1981年】白丸の観音堂(1981年の書による)[別称] 「杣入観音堂(そまいり観音堂)」とも称す。[山号]を「石水山」という。[本尊]の「十一面観音像」は木立像。長さ85cm、総高さ150㎝[脇侍] 毘沙門天像、不動明王。[武蔵風土記]によると「弘法大師の作で秘仏で見ることを許さず」とあるが、鑑定によると江戸時代の寛文、元禄(1661年~1704年)頃のもので、優れたものであるという。[観音堂の場所]・往古は白丸から根岩越えの氷川街道のかたわらにあったという。・元禄時代(1688年~1704年)に観音様が夢枕に立ち「駒の足音の聞こえるところへ出たい」との御託宣(ごたくせん)があり、現在地付近へ遷座したという。・寛保2年(1742年)に水害があり破壊される。(寛保2年江戸洪水)・嘉永6年(1853年・ペリー来航の時)に焼失し、一時「本源院」や「坊」といわれた大沢家に納め置かれたという。・大正7年(1918年)に現在の堂舎が建立された。[御開帳]「御開帳」は5月5日。9月初旬に「百万遍念仏講」が行われる、とある。(1981年の書の情報であり現在は不明)もとは正月7日、後には3月7日の「御開帳」であった、という。