中山道の間の宿で旅のひと休み。
中山道 平成の道標 間の宿の特徴
中山道の街道筋に位置する閑静な場所で活用されています。
吹上宿は本来の宿場町として利用されていた歴史があります。
中山道・間の宿碑が訪問者を出迎える興味深い地点です。
吹上宿は、中山道で旅人の休憩場所として利用されていた間の宿(休憩用の町場)でした。鴻巣宿と熊谷宿間は4里6町40間(約16.4 km)と距離が長いことや、吹上から熊谷の間は荒川の土手を結ばれるなど難所だったそうです。休憩や天候の回復を待つ旅人の需要があり、茶店や土産物屋などが軒を連ねて繁栄したそうです。旧中山道はここから歩道橋で高崎線を越えて、線路の反対側を進みます。
2021年4月、ロードバイクでヘルシーロードに向かう途中にて立ち寄りました。江戸時代の中山道の宿跡の説明文があります。
中山道・間の宿碑とその説明板が設置されている。間の宿とは、鴻巣宿と熊谷宿の間、正式には中山道の宿場町として認められていなかった吹上宿(千人同心街道では宿場町)のことである。中山道はこの陸橋を渡って線路を越えて、線路沿いの道を西へ向かって歩いていく。
名前 |
中山道 平成の道標 間の宿 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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案内板「 吹上『間の宿』中山道の街道筋にあたる吹上は、鴻巣と熊谷の『あいの宿』として発展した町ですが、江戸期、幕府公認の宿場ではありませんでした。しかし、それにもかゝわらず重要視されたのは、日光東照宮を警護する武士たちの『日光火の番道』と、中山道が町の中心部で交差すること。また、鴻巣宿と熊谷宿の距離が長かったため、その中間に休憩する場所として『お休み本陣』や、馬次ぎの『立場』を設置する必要があったからです。年に三〇家もの大名が江戸や国許へと行列を飾り、多くの文人や墨客たちも足をとどめた『吹上宿』。中でも信濃の俳人小林一茶や加舎白雄、狂歌師で戯作者でもあった太田南畝、浮世絵市の池田英泉などはそれぞれ得意な作品をのこしています。そして江戸以来、吹上の名物は『忍のさし足袋』と荒川の『うなぎ』、『榎戸の目薬』も街道の名物にかぞえられていました。この場所は、かっての中山道が鉄道の開通によって分断された地点にあたっています。 」