歴史感じる五郎兵衛橋の跡。
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久喜市栗橋地区にある五郎兵衛橋の名前の由来は、江戸幕府前期に現在の茨城県五霞町元栗橋から並木五郎兵衛が30人程の農民を連れて日光街道7番目の栗橋宿を開いたのが、始まりで最初の地名は新栗橋で、新が取れて栗橋となる。
名前 |
五郎兵衛橋跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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久喜市栗橋地区にある小さな橋の跡です。こちら歯石というほどのものではありませんが、かつて40年ほど前にはこちらのところにドブ川側程度の小さな小川がずっと流れていました。今は下水道工事の影響もあって、全ての川に蓋がされてしまって、子供が誤って落ちることもなくなったものの、昔の面影は全く見ることができません。こちらの橋の近くには駄菓子屋がかつて存在し、木村商店という名前だったと記憶しておりますが、そちらの方に近所の子供がしょっちゅうを訪れるような人気店でした。そして、そこから栗橋駅前側に出ている道沿いにこの五郎兵衛橋がありました。今となってはここに橋があった面影は全くありません。