ほっとする延沢の御開帳。
延沢観音の特徴
最上三十三観音の第22番札所として、参拝者に広く親しまれています。
今風のお地蔵さまが居る境内は、訪れる人々をほっとさせてくれます。
駐車場は広く、ほほえみ幸せ地蔵が出迎える居心地の良い空間です。
今風のお地蔵さまがありました。2022.7.28
最上33観音参りの御開帳にて自転車で尾花沢にある観音様をお参りさせていただきました。足の疲れもありましたが、ゆっくりお参りさせていただきました。またお参りにきます。御詠歌も流れ、気持ちも落ち着きました。有難うございました。
最上三十三観音の参拝でお伺いしました。コロナウィルス感染症の影響で、二年間延期されていた霊場御本尊の御開帳(観音堂の観音様)です。祥雲山龍護寺といい曹洞宗のお寺です、観音霊場第二十二番札所になります。観音堂の中でお勤めをしました、別称で延沢観音と呼ばれています。御本尊は聖観世音菩薩で慈覚の御作と伝えられています、およそ十センチと小柄な御本尊です。龍護寺の開山は宝徳元年(1449年)の頃、延沢城を築いた野辺沢満重の子である満延が復興し家臣の修要道場も兼ねた菩提寺でもあった。観音堂は寛文年間(1661年~1673年)に延沢出身の土屋又三郎の建立と伝えられています、又三郎は深く観世音を信仰して諸国の霊場を巡礼していたが、道中の近江国の瓦原寺に宿泊した際に夢の中に天女が現れて「私を背負って旅に出よ」と囁いたという、翌朝住職に夢の話しをすると住職は昨夜観音様が夢に現れて「東国から来た巡礼者とともに出羽国の祥雲山へ行きたい」とのお告げがあったと伝えられた。又三郎はこの仏像に深く感激し仏の道へ入ることを決意して、宇治黄檗山の隠元禅師のもとで修行したのち観音像とともに故郷延沢へ戻り龍護寺の境内に御堂を建てたのが始まりと伝えられています。観音堂は龍護寺の徳眼禅師のもとで貞享元年(1684年)に改築されたが、宝永年間に起こった山火事によって焼失したが御本尊は無事に運び出された。御堂は正徳四年(1714年)に再建されたが傷みが多く、現在の観音堂は平成十五年に新築されたものです。
曹洞宗の寺院。
環境良く、ほっとします。
我が家の、お寺。お墓参り行ってきました。
最上33観音第22番延沢で有難い観音様です。
最上三十三観音霊場 22番札所 曹洞宗 聖観音菩薩。
最上三十三観音のひとつです。
名前 |
延沢観音 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0237-28-2331 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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10/3(日)3箇所目は延沢です。立派な寺院です。本堂と観音堂近くから、ラジカセ(古い)の御詠歌の声が流れて来ます。味わいがあって雰囲気が素晴らしかったです。「おすがた」を入れる袋を様々準備するなど参拝者の方を気遣う心が伝わりました。