接待館の歴史、藤原氏の息吹。
接待館遺跡の特徴
衣川川東地区の重要な遺跡として、多数の土器が出土しています。
藤原氏の接待館や司祭所の跡地であり、歴史的価値が高いです。
中尊寺の北側に位置し、平泉との関係が伝わる特別な場所です。
中尊寺のすぐ北の衣川に南面する位置にある。国指定史跡「柳之御所・平泉遺跡群」の構成遺跡のひとつ。「接待館」(せったいだて)の名称は江戸時代中期の仙台藩の「風土記御用書上」に、「セツタヤ(接待)館」とあるのが初見で、藤原氏時代はどう呼ばれていたか不明。発掘調査で堀跡、土塁、掘立て柱建物跡が確認され、宴会や儀式の場と推定されている。「風土記御用書上」では藤原秀衡の母の居館とされるが、あくまで江戸時代の伝承で確かなことはわからない。なお、義経最後の地である衣川館(ころもがわのたて)は発掘調査で実は現在の義経堂がある高館ではなく、この接待館であった可能性も指摘されている。
2022年7月27日に見学しました。衣川の堤防ルートを変更し、国指定史跡「柳之御所・平泉遺跡群」に平成22年、追加指定された遺跡です。大規模な堀と二重の土塁に囲まれた12世紀後半の施設跡です。この施設を造ったと考えられている人物は、奥州藤原氏2代基衡の妻だろうと思われます。彼女は、観自在王院を建立したことでも知られています。接待館の前の街道を行き交う人々に施しを行っていたという伝説が、館名の由来と伝えられています。この施設の堀や溝から大量の「手づくねかわらけ」が出土しました。そのことから、酒宴を伴う儀式会場であったのではないかと推測されています。ここで出土したような「かわらけ」が、秋田県大館市の矢立廃寺跡や青森県の藤崎城跡から出土し、奥州藤原氏の文化や支配体制について話題になりました。
よみがな せったいだて遺跡名 接待館時代 古代・12世紀・中世遺跡コード NE65-2343・「風土記」に、秀衡朝臣母公の居館、とあり、平泉関係の遣跡と伝えている - 仙台領内古城・館。
名前 |
接待館遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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衣川川東地区に位置し、新しく発掘された史跡で、多数の「土器(かわらけ)」が出土し、藤原氏の政務館の中でも、「接待館又は司祭所」の重要な館跡とも言われている。