平安の面影を感じる遺跡。
長者ヶ原廃寺跡の特徴
長者ヶ原廃寺跡は平安時代の繁栄を感じる遺跡です。
発掘調査で西門土塁跡などの貴重な遺構が確認されています。
ほぼ方形の土塁で区画された広い敷地が魅力的です。
近々広い整備するというかと。
2022年7月27日に見学しました。遺跡の道路向い側に駐車場が有ります。一辺約100メートル四方の築地塀に囲まれた境内に3棟の礎石建物が存在していた模様です。築地塀をめぐらした私寺(定額寺)の中では、相当立派な寺院だったのでないかと思いました。衣川を本拠地としていた安倍氏一族(安倍忠頼・忠良・頼良(頼時))が、11世紀頃に建立した寺院と考えられています。北上市の国見山廃寺と比較研究することで、奥州藤原氏の仏教文化以前の伝搬を検証できるかと思いました。また、奥州藤原氏時代に金売吉次が、ここに屋敷を構えており、源義経を平泉に導いたと伝えられています。金売吉次の黄金伝説が、長者ヶ原の名称になったと聞きました。金売吉次は、奥州藤原氏3代秀衡に見込まれ、奥州産砂金を京で売りさばいた伝説の商人です。宮城県金成町の金田神社に祀られ、その周辺に居館があったとも伝えられています。
平安時代の繁栄の面影が感じられます。
この遺跡は、南を正面とするほぼ方形(南北100m強、東西90m弱)の土塁で区画されており、昭和33年と47年の2回にわたる発掘調査によって西門土塁跡、南門跡、本堂跡、西方塔跡が確認されました。ここは承安4年(1174)に16歳の源義経を京から連れて来たという藤原秀衡の御用商人三条吉次季春、通称金売吉次の屋敷跡と伝えられてきましたが、礎石の配列や遺物の配置及び出土した土師器等から平泉藤原氏の時代かそれ以前の重要な寺院跡と推定されています。
今も少しづつ発掘調査しています。古代のロマンが広がります。
11月6日―④
けっこう広いです。
史跡周り田んぼで観光地とは言えず、原っぱ。整備はされているが、県外から来た者から見るともう一工夫欲しい…
2007年以来ですがだいぶ発掘調査が進んだようです。
名前 |
長者ヶ原廃寺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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初訪問です。栄華を極めた藤原王朝時代より前に建立された寺院のようです。未だに全容が解明されず謎多き廃寺跡で、今も尚、発掘調査が行われてました。