白鳥舘遺跡で歴史を体感。
白鳥舘遺跡の特徴
安倍頼時の子、白鳥八郎行任に関する歴史が感じられる遺跡です。
北上川を臨む風景が美しく、散策にぴったりな立地です。
中世の川湊遺跡まで徒歩5分、観光にも最適なスポットです。
2022年7月27日に見学しました。前九年の役1051~1062年で、源頼義・義家父子と戦った安倍貞任の弟、白鳥八郎則任(行任)の居所と伝えられてきた場所です。発掘調査の結果、手工業生産遺跡、城館、集落、河湊など、多目的に活用されてきたことが判明しました。土塁、崖、堀が郭を囲むように配置されています。現在、台上部に白山神社が祀られています。ここで出土した資料は、近くの牛の博物館で見ることができます。
集落手前の駐車場でパンフレットが頂けます。遊歩道が設定され、城跡入口からⅠ郭Ⅱ郭の堀切まで石板のステップが設置されています。Ⅰ郭北側は改変あり土砂が削られているようです。Ⅱ郭は鳥居、神社があります。Ⅰ郭北のほうに向かうと土塁があり、登ると北上川の湾曲が望めます。城跡周囲を廻り北側へ行くと、城跡たらしめる剥き出しの崖が見られます。
歴史を感じさせる旧跡です。
景色良いけど、最寄りの駐車場から、徒歩で10分ほどでしょうか?
北上川の屈曲部に半島状に突き出すこの丘陵一帯は、平安時代の豪族、安倍頼時の子、白鳥八郎行任(則任)の居所と伝えられてきました。今も廓跡や空堀など中世後期の城館跡が残っていますが、平成15年からの発掘調査で、10世紀から16世紀まで集落や城館として断続的に使われていたことが判明しました。この地点は、北上川両岸の丘陵が迫る狭隘部で、平泉地域の北辺を画す位置にあります。北上川の水運とも関連して、軍事・経済上の要衝であり、奥州藤原氏の時代以前から要害の地として機能していたと考えられています。11世紀、安倍氏、清原氏の拠点が所在したとされる衣川から白鳥にかけての地内に位置する白鳥舘遺跡は、奥州藤原氏が平泉に成立する歴史的背景を物語る重要な遺跡として、史跡に指定されています。世界遺産として拡大の対象になる可能性があるので、平泉を色々と回った後に最後に訪問しましたが、もっと明るいうちから来れれば良かったなと少し後悔しました。平泉は観る所が多いので、1日では足りませんね。
11月6日―③
北上川を臨む景色が清々しい。
かなり古いので、あまり跡は分かりませんが、堀は分かりました。駐車場はちょっと離れてます。
このポイントは入口になり、歩くこと5分で中世の川湊遺跡の白鳥舘遺跡が有ります。安倍(白鳥八郎)則任の郭跡と伝わり、北上川舟運に利用した湊は平泉文化を支えた重要な役割を持ち、この湊が無ければ藤原三代の栄華もなかったでしょう❗️此の地は岩盤が競り出しており、北上川が大きく蛇行して監視の目が行き届く為に舘が作られたとも言われてます。秋には白鳥舘遺跡 鮎まつりが開催され、北上川で捕れた鮎を食べたり、餅まきのイベントも有ります。
名前 |
白鳥舘遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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まず場所が非常に分かりにくい。私有地の中を通るのですが標識が少なく、歩道も草で覆われ何処を通るのか分かりません。遺構は埋め戻されたのかパンフレットのような綺麗な状態ではなくただの雑木林になっているので正直見る価値はないかと思います。