藤原清衡生誕の地、眺望抜群!
豊田館跡の特徴
北上川の美しい景色を楽しめる小高い丘です。
藤原三代の初代・清衡の生誕地として知られています。
駐車場が完備されていてアクセスが便利です。
平泉が藤原家の始まりと思っていたら本当の場所は豊田城でした。
誰も居なかった。駐車場はあるけど肝心の館跡は整備されてないですね。
岩谷堂城址跡とは違う場所なんですねぇ😅
2022年8月7日に訪れました。亘理権大夫藤原経清と、その子、奥州藤原氏初代藤原清衡の居館であった場所です。経清は、田原の藤太と呼ばれた藤原秀郷の子孫です。宮城県亘理地方を支配した国府の官人でした。奥六郡を支配していた安倍頼時の娘婿となり、藤原清衡が生まれます。前九年の役の初めの頃は、源頼義・義家の家来として朝廷軍側にいましたが、後に安倍頼時側に寝返りました。康平5年1062年に朝廷軍と清原武則の連合軍に厨川柵で敗れ、斬首されました。その当時、息子の藤原清衡は、7歳だったそうです。母親は、清原武則の息子の武貞に後妻となりました。その時から、清原清衡を名乗ります。20年後、清原氏の内訌から後三年の役(永保3年1083年~寛治元年1087年)が起こります。清原清衡は、源義家から助力を受け、清原氏の跡継ぎとなりました。その後、旧姓に復帰し、藤原清衡に戻ります。奥州の覇者となった藤原清衡は、ここ豊田館に入り、平泉に本拠地を移すまでの約十数年間、この館で暮らしたそうです。奥州の中心が、ここだったと言えば、分かりやすいでしょうか。安永3年1774年、伊達藩の田辺元希が豊田城趾碑を建立し、館の歴史を今に伝えています。戦勝の神である愛宕神社が祀られています。
信号から入る南側の道沿いに駐車場あります。駐車場から階段で上がります。奥州藤原氏源流、藤原経清さんと藤原清衡さんの館跡らしいです。
小高い丘で見晴らしの良い場所でした。愛宕神社も鎮座。歴史好きな方には、最高でしょう。
昔館から見た北上川の景色が綺麗だったと推測します。🏯🏞️
義経終焉の地です、北上川の先には弁慶の倒れた衣川も見えます。
藤原三代ゆかりの地。興味深いです。
| 名前 |
豊田館跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
〒023-1101 岩手県奥州市江刺岩谷堂下苗代沢023−1101 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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2026.3.28の訪問。豊田館は平安時代中期に亘理権大夫と称したと言われている藤原経清と子供の藤原清衡の館とのことです。館跡は高台に位置していて目立つような遺構などは確認できません。