藤原清衡生誕の地で眺望を楽しむ。
豊田館跡の特徴
北上川の美しい景色を楽しめる小高い丘です。
藤原三代の初代・清衡の生誕地として知られています。
駐車場が完備されていてアクセスが便利です。
岩谷堂城址跡とは違う場所なんですねぇ😅
信号から入る南側の道沿いに駐車場あります。駐車場から階段で上がります。奥州藤原氏源流、藤原経清さんと藤原清衡さんの館跡らしいです。
小高い丘で見晴らしの良い場所でした。愛宕神社も鎮座。歴史好きな方には、最高でしょう。
昔館から見た北上川の景色が綺麗だったと推測します。🏯🏞️
義経終焉の地です、北上川の先には弁慶の倒れた衣川も見えます。
藤原三代ゆかりの地。興味深いです。
案内板より、豊田館は渡り権太夫藤原恒希男清衡平泉藤原氏初代の居館であった経清は田原の藤田と呼ばれた藤原秀里の子孫といわれ始め宮城県亘理地方を支配する国府の官人であった。後の奥六郷の主 安倍頼時の娘婿となり、豊田館に住みました。平安朝廷と安倍氏の戦いである「前九年の役」で経清は初め朝廷軍の将、源頼義 義家親子の配下に属していたが、途中から義父阿部頼時に味方し、源氏とこれを授ける秋田の清原氏の連合軍と戦い、最後は厨川柵(くりやがわのさく)で敗れ、処刑された。時に康平5年(1062年)清平7歳であった。母は清衡をつけて敵将清原武定の後妻となった。20年後、清原氏の内輪もめから起こった「後三年の役」に義家の預けを受けて勝ち残った清平泉は、豊田館に帰り、奥羽を治めたが、康和年間(1909年〜1103年)に平泉へ移り、 藤原4代の祖となった。安永3年(1774年)銘の石碑に、ここが藤原経清 清衡父子の館跡であり、付近に船橋の地名や高水寺跡、 延喜式内の眞(かねへん)岡神社、白旗の池があると刻まれている。江差市。
藤原三代の発祥地?
藤原経清の館跡で、平泉藤原三代の初代・清衡の生れた地と伝えられて居ます。近くには五位塚と言う地名もあり、亘理権太夫は官位従五位と云われ、その墓地と伝わる所が五位塚なる地名となっている❗️経清は前九年の役で敗れ処刑されたが、7才の清衡は母が敵将・清原氏の後妻となった連れ子として、清原氏のもとで育ったのです。その20年後、後三年の役で勝利した清衡は豊田館に戻り奥州を治め、後に平泉に京を構えたと歴史は語っている。
名前 |
豊田館跡 |
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ジャンル |
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住所 |
〒023-1101 岩手県奥州市江刺岩谷堂下苗代沢023−1101 |
評価 |
3.4 |
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誰も居なかった。駐車場はあるけど肝心の館跡は整備されてないですね。