奥州の歴史、胆沢城の魅力!
胆沢城跡の特徴
9世紀の歴史を感じる城跡で、心に残る体験ができます。
整備された公園内で、田園風景が広がる美しい景色を楽しめます。
埋蔵文化センターでは、ARを用いた3D体験が可能で楽しめます。
すぐ近くに奥州市埋蔵文化財調査センターがあるので、より詳しく胆沢城が建てられた当時の歴史を学ぶ事が出来ます。また、源頼朝が「鎌倉よりも先にこの地に八幡宮があったのか」とびっくりした鎮守府八幡宮も比較的近くにあるのでそちらもオススメです。
復元された南門、政庁跡、厨(くりや)跡などを見学し、近くの文化財調査センターで勉強しました。木簡や漆紙など文字の残っているものが発掘、展示されていた。また下級役人、上級役人の食事も比較展示。下級はご飯にひじきのみ、上級は鹿肉に魚、副菜も何品か。笑ってしまった。やはりここ胆沢の地は阿弖流為とモレ、そして阿倍仲麻呂である。鎮守府八幡宮も近くにあり、東北支配の拠点が多賀城から胆沢に移されてきたこともよく分かる。蝦夷とは何だったのか。私はかなりアイヌとの重なるイメージを持っているが、米作は気候風土の違いでなかなか北海道には渡らなかったのが違いのひとつ。もうひとつは、北東北で栄えた「馬」。当地では平安期から「馬」を産出してきた。アイヌ文化には「馬」はないという。もちろん北東北の地名にアイヌの名残が多くあるとか、北東北と蝦夷地の間では縄文期から交易があったというのはその通り。我々の祖先のひとつの流れである縄文やさらにその流れを汲む蝦夷。もっと尊重し大切にしないと。今後新たな発見がさらにあると嬉しい。やはり古代の城柵は面白い。志波や秋田城柵にも行ってみたい。
史跡を見れます。けっこう歩けて昔ここにどんなものがあったのか教えてもらえていいですよ。
紺碧の空。いい天気でした。アテルイが育った胆沢は坂上田村麻呂を迎え撃つ拠点にもなりました。モレと共に討ち果たされた後は多賀より北に位置する、より蝦夷の領域にある政庁として作り変えられました。京都から遠く離れた現地では、情も湧いていたのではないか、と色々考えたくなる場所でした。
日曜日14時頃入りましたが、来館者は自分だけでした。展示内容はすごく充実してましたが、この時代に詳しくない者にとっては内容的に難しいかったです。歴史的にすごく大切な土地なので、小学生まで分かるようなモノが欲しかったかなぁ…
初めて、伺いました。WiFiスポット有り、資料館の無料駐車場を利用し目の前が城跡になります。整備されておりますが、見学前提と管理の為か部材は全て近代的な物で作られてました。この様な歴史的価値のあるものが奥州市水沢にある事にもっと評価が有っても良いのではないでしょうか。コロナの影響で資料館は8月末迄休館でした。
2021年4月19日に見学しました。延暦21年(802年)に坂上田村麻呂が造営した平安時代の城柵です。多賀城から大同3年(808年)までには、軍政を司る鎮守府が遷され、10世紀後半まで機能していたと推測されます。朝廷の東北支配を推し進めるため、胆沢城築城翌年の延暦22年には、志波城が造営されました。阿弖流為が、延暦21年(802年)に降伏し、朝廷支配が、一気に北進したことが分かる象徴的な城柵跡だと思います。
草も刈られててキレイに整備されてました。2輪で行くと砂利なので駐車するのに気をつかいます。
資料館は休館日でアウト。城跡でVRで坂上田村麻呂や阿弖流為にお会いして大門を観て帰ってきました😅最初アプリに上手くVRが出なくアプリを初期化してやり直したら観れました😁たったそれだけですがそこに立って写メを撮れば馬に乗った田村麿と一緒に写真が撮れます😁
名前 |
胆沢城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0197-34-1316 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.6 |
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2025年5月20日 アヤメの咲いてる時期には立ち寄った記憶が有ります!という事で、胆沢城跡を周るのは初めてでした! 結構歩きましたが、クイズ式の木の名前が、周りに有り勉強に成ったと言うか楽しめました!