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名前 |
上黒磯の板碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
板碑は、石造の卒塔婆で、板石塔婆とも言い、鎌倉時代から室町時代に死者の霊を供養するために建立されたもの。分厚い安山岩を刻んだもので、東北系に属し、関東文化と東北文化の交錯地帯の板碑として、その分布上からも貴重なものである。関東地方では、秩父産の緑泥片岩を用いたものが多い。上厚崎の板碑、が緑泥片岩を刻んだものである。頂部山形に二条の横溝、その下に横長の額があり、下部中央に、大きく阿弥陀如来(キリーク)の種字が刻まれ、紀年銘は「年」のみで、他は不明である。個人のお墓の中にあり、通りかかった福田さんに話を聞くと、全部、福田一族のお墓であった。江戸時代の黒磯村の交代名主、渋井.時庭·福田·津久井の四家の一つの福田さんではなかろうか?一度目はできます所在がわからず、二度目の今回は、鳥野目で農家の人から話をきいてから、鳥野目河川公園オートキャンプ場におりてきて、河川公園から出てから、見つかった。脇に、天明三年(1783)刻の石仏、十九夜塔、天明七年(1787)刻の庚申塔、山神の石碑が並んでいる。