スポンサードリンク
スポンサードリンク
名前 |
勝田村道路元標 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.0 |
明治22年に三反田村・勝倉村・金上村・武田村が合併して勝田村となる。昭和15年さらに中野村・川田村と合併して勝田町と、平成6年那珂湊市と合併してひたちなか市となる。勝田村道路元標は、那珂川北岸土手の傾斜の場所、勝田橋のすぐ南に立っており、他の元標と比べてやけに新しく見えます。隣には「勝倉船渡跡」の碑があります。水戸から勝田町への入口という重要地点だったためここに設置されたのでしょう。それに勝田駅が出来る前までは、東石川よりも勝倉や中根の方がずっと繁栄していましたからね。大正 8 (1919)年,内務省の「道路法」で「道路元標ハ各市町村ニ一箇ヲ置ク」と定められ、大正 11(1922) 年には「道路元標ハ石材其ノ他ノ耐久性材料」「25cm 四方,高さ 60 ㎝(先端は丸型)」「其ノ位置ヲ表示スル為道路ニ面シ最近距離ニ於テ路端ニ之ヲ建設スヘシ」とされ、当時の市町村数と同じ12,300もの道路元標が建てられたのです。