千鳥鳴く佐保川の清き瀬。
万葉歌碑 / 大伴家持の特徴
大伴家持の歌碑で、千鳥鳴く佐保川の美しさを味わえる場所です。
万葉集に名を残す、大伴家持の情景を感じさせる史跡です。
清き瀬を馬で渡る夢を詠んだ歌が残る、歴史的な名所です。
万葉集 第4巻 714番歌【訓読み】千鳥鳴く佐保の川門の清き瀬を馬うち渡しいつか通はむかな【かな読み】ちどりなく さほのかはとの きよきせを うまうちわたし いつかかよはむ【意訳】多くの鳥が鳴く佐保川の清い瀬を馬に鞭打ち川を渡っていつか通いたい。
千鳥(ちどり)鳴く 佐保(さほ)の河門(かはと)の 清き瀬を馬うち渡し 何時(いつ)か通(かよ)はむ巻四 715千鳥鳴く佐保川の渡しの清き瀬を馬を渡していつか通いたいものだ。家持が娘子に送った恋唄のうちの一首。家持の住まいである大伴氏の平城京に於る邸宅は、現在の奈良市法蓮町・リガーレ春日野の辺りから一条高校辺りに佐保宅と佐保西宅が在ったとされ、そこから佐保川を越えて通った姿が彷彿とされます。
名前 |
万葉歌碑 / 大伴家持 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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令和5年6月3日訪問佐保川北側の大伴家持歌碑大伴宿祢家持、娘子に贈る歌七首(うち一首)千鳥鳴く佐保の川門(かはと)の清き瀬を馬打ち渡しいつか通はむ巻四 七一五春日山の山中に発し、率川(いざかわ)・能登川をあわせ、初瀬川に合して大和川に注ぐ川。『大和志』には添下郡には奈良川、添上郡には佐保川とあり、古くは添上郡内を流れる上流のみを佐保川と称したらしい。藤原京にまつわる飛鳥川と同じように「みそぎ川」として利用され、身を清めるための水ごりを取る川であった。江戸期、佐保川の清流は奈良晒(ならざらし)と呼ばれた白く晒した麻布の織物業を発展させた。