平通盛の墓碑、歴史の息吹を感じて。
『平通盛』は平家一門の武将、公卿。『平清盛』の甥。『清盛』の異母弟『教盛』の長男。各地で源氏が挙兵すると『通盛』は大将軍の一人として尾張や北陸方面へと出陣します。寿永3(1184)年の【一ノ谷の戦い】では山ノ手の大将として弟の『教経』『業盛』と共に夢野(神戸市兵庫区)辺りに布陣します。戦いの前夜、『通盛』は最愛の妾である『小宰相局』を沖の舟から呼び寄せて語り合う中で、自分の死の予感と自分の死後の『小宰相』への心掛かりを話します。『小宰相』は『通盛』を力付けようと身籠っている事を打ち明けて二人で喜び合います。そんな仲睦まじく語り合う二人を見た剛直な弟『教経』は「戦を前にしながら悠長に別れを惜しんでいるとは何事か。今すぐに敵が攻め込んできたら鎧兜を身に着ける間も無い」と叱りつけます。『通盛』は『小宰相』を舟に帰すと鎧兜を纏い戦に備えます。戦いが始まると『通盛』は源氏方の兵士を討ち取るなど奮戦しますが、『源義経』勢の奇襲により平家勢は総崩れとなります。『通盛』も敗走する中で湊川辺りで討ち死にしてしまいます。【吾妻鏡】では『佐々木俊綱』に、【平家物語】では『木村成綱』や『玉井助景』ら七騎に囲まれて討たれたとされています。他には『木村源吾重章』に討たれたともされています。屋島への船中で『通盛』の死を知った『小宰相』は悲しみにうちひしがれて泣き伏せ、起き上がる事すら出来ずにいましたが、舟が屋島に着く夜に西方に向かって「別れ別れになった私達二人を蓮の上(極楽浄土)にて必ず一緒にして下さい」と唱え、その身を海へとを投じました。『通盛』は32歳、『小宰相の局』は18歳でした。【願成寺】に有る『通盛五輪塔』と『小宰相局五輪塔』は『小宰相』の想いを叶えるかの様に仲良く並んでおり【比翼塚】と呼ばれています。所在地/神戸市兵庫区松本通2丁目4−11【願成寺】内※長田区五番町8丁目に有る【源平勇士の碑】の中に『越前三位平通盛碑』が有ります。
名前 |
比翼塚(平通盛・小宰相局塔) |
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ジャンル |
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電話番号 |
078-511-2788 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.0 |
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神戸湊川、願成寺右側の墓地奥にある、平清盛の甥平通盛と奥さんの墓碑。