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名前 |
中島栄治翁寿像頌徳碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
昭和五十年野々市町町長四期目の時、有志により中島氏の多くの業績を讃え建設された。寿像の作家は当時金沢大学教授・日展作家の米林勝二氏で、題字は石川県知事中西陽一氏である。氏は、明治三十六年、郷村二日市の松原太郎吉の次男として誕生。大正三年富田教頭の十訓をもらい県立松任農学校を卒業する。大正三年、母の里の中島家に養子となる。太平寺の農事実行組合長をはじめに、富奥村農会長、県農山魚村経済更生指導員、富奥村長に抜擢され、県翼賛壮年団副団長、中央協力会会議委員、県農業会設立委員、戦後になり県農業会副会長、農事調停委員、県自作農協会長、等多くの公職に推挙され、地方の繁栄発展に努力された。野々市町町長を四期を勤め、心豊かな緑あふれる文教の町づくりに農業、商工業、住宅地域等の関連事業への努力をする。昭和五十四年八月死去、七十六才。