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名前 |
大坂道の道標 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
京都最南端の木津と大阪を結ぶ街道にある石碑です。「右きずい可(木津伊賀)」「左大坂」と彫られています。大坂と記された石碑は、南京都ではこの辺り以外ではあまり見かけませんね。大阪は豊臣秀吉の時代に大都市になった場所です。ですからこの道は河内から南京都に行く唯一の道ですが、江戸時代以前は河内から南山城に行く人通りの少ない間道的な扱いだったのでしょうね。この石碑が造られたのも江戸時代中期ですし。ちなみに説明書にある徳川家康の伊賀越えルートですが、周辺では交野市妙見坂の家康潜みのやぶで夜を過ごしたという話と、木津川市の岡田国神社の宮司が家康の伊賀越を手伝ったという話が残っています。ですので、その2つの伝承の地域の間にある、この精華町の石碑前の大坂道が伊賀越ルートだったと言われるとそれも納得できますね。徳川家康が本能寺の変を受けて三河国に逃げる時に、この石碑の前の間道が人目を避けるのにちょうど良かったのでしょう。ただ、それが本物の家康だったか影武者だったのかは、今の時代ではもうはっきりはしません。