弥三郎伝説とおっかな橋、歴史探訪!
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弥三郎伝説を調べると出てくる地おっかな橋と合わせて楽しむといいかなと思います弥三郎伝説新潟県にもありいくらか内容が違いそれを楽しむのもまた一興かと。
名前 |
妙多羅天堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
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鎌倉時代あたりから祭られているのでしょう。石塔多数あります。湯殿山千日善行供養塔や青面金剛供養塔 他。お堂の中に不動明王も見えます。湯殿山修験あるいは飯豊山修験の参詣道の道標になっているようです。この前の道は古道の名残りで、ここから右折して相森山の熊野神社に向かうのが昔の順路です。以下、掲示の妙多羅天縁起より人皇第70代御冷泉天皇永承5年(1050)一本柳平潟城城主安部貞任の一族渡会弥太郎平安信の妻岩井戸御膳は、慈悲深くはなはだ温良であったが、一度怒れば天魔鬼人も恐怖し凡人の生ではなかった。一子あり弥三郎宗長と呼び一家繁栄したが天喜4年(1056年)戦没時に年28歳武士の常として武者修行に旅立ち、軍学、兵法の実義を極めて帰途に向かったが、百日咳で死亡し、不帰の客になった。弥三郎婆はそれより弥彦山(新潟県)に至り、善人となり数多の善行をなし、最後に「我を祭らば、悪病退散、夫婦和合、縁結び」の神として信仰を集めた。よって後、妙多羅天として神に祭ったと言う。平成18年(2006)8月再記(有)伊藤○克佛壇堂 寄贈。