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名前 |
黒藤館跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
戦国時代、伊達氏が支配していた頃に畔藤地区の地頭・桑島氏が住んでいたとされる黒藤館跡です。その時代、白鷹を治めていた殿様も桑島姓であったことからその一族と思われます。隣の長井市にある樹齢1200年の国指定天然記念物「伊佐沢の久保桜」は桑島氏の墓木という伝承があることから、桑島氏は白鷹・長井付近の土豪であったと思われます。また、この桑島氏は伊達氏が仙台に国替になってもこの地に残り、上杉氏が治めた米沢藩に従ったものと考えられます。幕末の米沢藩には桑島姓を持つ上級武士と下級武士の2名いたことが分かっています。なお、黒藤館跡には以下が記された由緒書がありますが、一部誤りがあるようです。【黒藤館跡】伊達文書から伊達晴宗の代(十六世紀半と書いてありますが、十五世紀半の誤りと思われます)に、ここに桑島三郎左衛門という地頭が住んでいたらしい。館は東西140メートル、南北180メートルあり、土塁空堀跡も部分的に残っている。雷神社のある所は、畔藤下館と呼ばれており、東西220メートルの規模を持ち、南を除いて堀跡がよくわかる。白鷹町教育委員会横綱大欅を見に来て、たまたま見つけたのでGoogleMapに追加しておきます。恐らく、この桑島氏は私の先祖にあたります。畔藤地区の皆様に感謝します。この地の無形文化である歴史ある畔藤田植え踊りと共に、いつまでもこの地の子供達が守り引き継いでくれることを心から願っています。