スポンサードリンク
スポンサードリンク
名前 |
筏井竹の門・嘉一父子住居跡碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.0 |
説明の看板から全文引用筏井竹の門と嘉一父子●竹の門は明治四年一〇月一六日〜大正一四年三月二九日。本名虎次郎。 金沢藩士の家に生まれ、明治二五年高岡に転住。河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)門の高名な俳人で大正俳壇の重鎮。 画才にも秀で、短歌にも優れていた。俳句の革新を唱え、寺野 守水老(しゅすいろう)等を率いて越友会の指導者となる。文雅の精神に貫かれた市井の文人だった。この地の邸を松杉窟(しょうひんくつ)と稱し、自ら四石(しせき)とも号す。宴つづく思ひの朝寝さへづれり●嘉一は明治三二年一二月二八日〜昭和四六年四月二一日。父虎次郎(竹の門)、母いとの長男として、この地に出生。二三歳の時、小学校音楽教師として上京し、北原白秋門の逸材と目され「昭和の啄木」と稱された秀抜な歌人。庶民性に潜む高貴な魂の歌を詠んだ。歌集「荒栲(あらたえ)」「籬雨荘雑歌(りうそうぞうか)」「新風十人」昭和一五年、創生短歌会を創立。主宰となる。夢さめてさめたる夢は戀はねども春荒寥とわがいのちあり古城公園に父子の句・歌碑が並び建つ。