石城別王の古墳、見逃せない!
大塚の特徴
羽咋市川原町に位置する石城別王の古墳が魅力的です。
七塚の一つであるため、歴史探訪に最適なスポットです。
地元でも目立たない隠れた歴史が楽しめる場所です。
【羽咋の七塚のうちの一つで「石城別王」の墓】あまり目立たないので今まで見落としていましたが、今回は七塚をめぐっていましたので初めて知りました。小さくてもよいのでもう少し目立つ看板が欲しいですね。大谷塚(王児塚・観音塚)長さ45m、高さ7mほどの円墳で石衝別命の御子・石城別王の墓だと言われています。初めは70mほどの大型の前方後円墳であったが、削り取られて円くなったとの説や、この古墳と大塚とを一つの古墳と考え、大谷塚はその前方部でなかろうかとの説もあります。ここを大谷塚と呼ぶのは、本念寺の墓所が近くにあるためで、観音塚というのは大正6年の陵墓御治定まで、墳丘上に羽咋の開発土豪稲荷一族の稲荷神社(御神体は観音像、現在は本町の稲荷神社)あったためです。※観光ボランティアガイド 歴史ロマン「こんちま羽咋」マップより※石衝別命は磐衝別命とも記載されていす。
| 名前 |
大塚 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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石川県羽咋市川原町にある古墳です。磐衝別命の御子・石城別王(イワキワケノオウ)のお墓です。大谷塚という名称は、本念寺の墓所が近くにあるため名付けられました。宮内庁により大塚と同じく、陵墓参考地に指定されています。〇磐衝別命(羽咋市観光協会HPより)第11代垂仁天皇の第10皇子です。大昔に、不作が続き、疫病が蔓延し、巨大な怪鳥に悩まされていたこの地の村人を窮地から救うために、垂仁天皇の命により磐衝別命が赴きました。怪鳥を討ち果たしたあとも、農業や武芸を奨励するなどこの地を慰撫し、住民に大変慕われました。命がなくなられた後も、その御霊を慰めるため、命が好まれた相撲を神前に奉納して、その遺徳をしのぶようになったと言われています。〇陵墓参考地古記録・地域伝承・墳丘の形態や規模・出土品等により、皇族の墳墓とされたが、被葬者を特定する資料に欠ける陵墓です。