香取御児神社の奥深き歴史。
香取御児神社(旧鎮座地)の特徴
陸奥国栗原郡にある、延喜式内社の一社です。
香取御児神社の比定社として知られています。
延喜式神名帳に名を刻む重要な神社です。
こちらは、陸奥国栗原郡の延喜式内社 香取御児神社の比定社です。水田の中の小さな杜。今は石碑だけが残る。香取神(社)と刻まれているらしい。
延喜式神名帳の陸奥國栗原郡の項に記載のある香取御兒神社の論社の一社。国道398号線のファミマの駐車場に車を置かせてもらって、そこから徒歩5分。田んぼのあぜ道のような道を社叢に向けて歩く。小さな社叢には特に参道もないので、草をかき分けて中に入ると、「湯殿山」と彫られた大きな石の脇に、「香取神・」の小さな石を見つけた。この日は雨が降っていて、ぬかるんだ道だが、やはりこういう日は登山靴が正解だ。本殿はもちろん、拝殿もなく、式内社調査報告によると、「香取神社」と彫られた石を御神体とする、とのこと。しかし、当社は栗原市築館字黒瀬に鎮座する鹿島神社に江戸時代に合祀され、この場所は旧社地ではないかと思う。おそらく、香取神社と彫られた石は、御神体などではなく、単なる社号石碑だろう。当社の北側には一迫川(いちはさまかわ)が流れていて、周囲の状況からすると、氾濫があって遷座したのではないだろうか。実際に、ウィキペディアによると、一迫川の中下流域は極めて低湿地で、古くから水害常襲地帯となっていて、宮城県内屈指の難治河川とのこと。江戸時代、仙台藩が編纂した「封内風土記」(ほうないふどき)という地誌には当社、香取御兒神社のことを「梶取御兒神社」と書いてあるそうだが、香取神は本来、梶(楫)取神(舟人、漁民の神)から来ていると思われるので、梶取御兒神社とは香取御兒神社のことだろう。また、当社の祭神は経津主神といわれているが、社名からすると香取神の御子神であることは間違いない。陸奥の式内社にはおそらく多氏が祀っただろう鹿島神の苗裔神を祀る神社があるほか、香取神の苗裔神を祀った神社が2社あって、当社はその1社。鹿島神の御子神は鹿島天足別命であろうが、香取神の御子神ははっきりしない。ただ、おそらく下総の香取神宮境外摂社、又見神社の御祭神である天苗加命(あめのなえますのみこと、香取神の御子神で香取氏の祖神)であるのかもしれない。
| 名前 |
香取御児神社(旧鎮座地) |
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| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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香取御兒神社と書いてある 児ではないと思う。