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名前 |
御薬園御用茶屋御殿 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
御薬園の御茶屋御殿は専ら藩主の休息のほか上席の役人や藩御用達頭取の元締などが、招かれ、お褒めの言葉や御酒を賜る時などに利用されました。 上ノ間・次ノ間・控ノ間と区別された部屋を持っています。建築年代は1696年代(元禄九年)で、ただし木割の細い数寄屋建築に加えて、会津が多雪地帯であることから破損の進行が早くも改造を加えています。 古材を転用した跡がみられますが、これは藩主が建築の際に新材ではなく、農家の解体材等を使用することによって領民に倹約の範を示したとの伝えがあります。 また歴代藩主は藩祖正之公の遺訓に従い庭園の経営にあたっても質素を旨としてきたといわれます。 控ノ間までが藩政時代のもので屋根は茅葺ですが、隣に続く十畳の松ノ間と二階は1882年(明治十五年)、容保公一家が住まれるために建てられたもので屋根は亜鉛葺になっています。 御茶屋御殿上ノ間は、藩主のお成りの部屋で庭園が一望され、正面の楽寿亭と東山の山並みの借景が美しく、ここに座れば殿様気分が味わえる格別な眺めです。 戊辰戦争では西軍傷病者の治療所に使用され、戦火をまぬがれ、当時のたたずまいを見ることができます。