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名前 |
大海嘯記念碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
大船渡市盛町の洞雲寺門前にある「明治三陸大津波」の惨状を伝える石碑。明治三陸大津波の七回忌にあたる明治三十五年六月十五日に建立されたもの。明治三陸大津波・・明治29年(1896)6月15日,(旧暦5月5日)夜の8時頃、計6度の津波が押し寄せたと言われる。22000人の死者のうち、気仙郡内の死者は5648人と言われている(山下文男調べ)当時の防災体制、連絡網の無さなどから、岩手県庁がその事態を知ったのは青森県庁からの連絡で10時間後と言われている。岩手県沿岸からの連絡は20時間後、気仙郡からの連絡は2日後と言うありさま。村役場、警察などの建物、役人、議員、警察官など壊滅的な被害を受けた。当時、洞雲寺では、郡内の重症者を受け入れ、臨時病院となり、近隣、赤十字、帝国大学の医師・看護師。陸軍の軍医・看護師も集められた。