静かな雰囲気で心和むひととき。
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案内板の説明は解りやすいですが、現場が解りにくい。山ノ神神社は解りますが、民家が点在してあり、あまりうろうろと歩くのは、気が引けます。
名前 |
鶴脛柵跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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2022年7月24日に訪れました。奥六郡を支配した安倍氏が、領土防衛のために12の柵を築いたとされる中の一つです。安倍頼時の第7子であった鳥海弥三郎家任(とのみやさぶろういえとう)が、この柵を守っていたとされています。前九年の役1051年〜1062年を記した「陸奥話記」には、比与鳥柵とともに朝廷軍・清原武則軍から撃破されたことになっています。現在の山ノ神神社のある丘陵上部が柵のあった場所です。鶴脛柵の場所については、花巻城(旧鳥谷ヶ崎城)も擬定地とされており、諸説あるようです。