赤いのぼりが映える、上杉神社の末社。
福徳稲荷神社の特徴
上杉神社に隣接の美しい神社で、穏やかな雰囲気を感じられます。
白狐伝説を伝える奥深い歴史を持つ摂社として知られています。
鮮やかな赤いのぼりが参道に並び、独特の景観を楽しめます。
上杉神社の摂社だと思っていたら思いのほか立派な神社でした、福徳稲荷はうちの庭にあるお稲荷様と同じだったのでお参りさせて頂きました。
御祭神、宇迦之御魂大神。いわゆるお稲荷さんです。第6代藩主 上杉宗憲公 が勧請して、明治時代に第9代藩主 上杉鷹山公 が信仰した稲荷祠を合祀したとのこと。米沢藩の失態を救ったという白狐が祀られたらしいです。奥宮には、宗像三女も祀られています。
上杉神社の右隣りにひっそりとありました。
平日お勧めです。災難を払っていただけるような感じがしますよ。
💮米沢城を巡っている時に見つけましたので、参拝をさせていただきました🙇
白狐伝説を伝える上杉神社の末社。米沢大火での消失を免れ霊験が注目されたそうです。こちらに残っていた鷹山公自筆の「正一位稲荷大明神」の社額が神宝となり現在は宝物殿に収められています。以下、境内案内から抜粋白狐の由緒ここには、米澤藩を授けた白狐の伝説が残っております。時代は元文五年(一七四〇)今から二八二年前徳川幕府より上杉七代藩主、宗房公に鶴一番が贈られて来ました。上杉満は直ちに丁重に請書を認め江戸の徳川幕府に飛脚を走らせました。その後、書場御祐筆所に清書が残っていた事が判明、大失態大騒ぎとなりました。この一大事にたのまれたのが飯縄(いづな)の修法を会得していた城代家老の岩井大善であります。直ちに岩井家老は、城内に住まえる右近・左近と呼ばれておりました、白狐二匹のうち一匹に、本物の請書を入れた神状箱を託しました。白狐は急ち走り去り、その晩には御状箱を首に掛け戻って来ましたが、既に息絶えておりました。そして不思議な事にその箱の中には下書が入っておりまして藩の大失態は免れたと言います。白狐の遺骸は岩井家老の誇らいと願いにより櫃に納めまして、人間同様の弔いをしたと有ります。福徳稲荷神社の左奥の方に稲荷神社奥の宮が有りその真中に石造りの祠を作り、懇に葬ったとの事を伝えられております。今年は祠を整備し又結界も約三十年振りに整備し一新致しました。令和四年七月 福徳稲荷神社。
上杉神社の奥にある摂社で鳥居の数は少ないが代わりに赤いのぼりが参道にたくさん立っていました。社殿は壁の一部だけ白く、そのほかは屋根までもが赤く塗られている。稲荷神社とはいえここまで赤いのは珍しい。狛犬では無く狛狐が神社を護っている。
上杉神社内でここだけは鮮やかな色合い。上杉家の失態を狐が救ったとして祀られています。
名前 |
福徳稲荷神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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上杉神社に隣接する小さいながらも美しい神社。