歴史好き必見!
春日神社の特徴
上杉謙信の居城に由来する歴史的な神社です。
上杉家に大切に信仰された神様を祀っています。
米沢大火後に再建された社が魅力的です。
上杉神社の参道から脇にはいるとあります。御朱印などはありませんでした。とても雰囲気のよい空間でした。
上杉謙信の居城であった越州春日山城の名からも推察出来る様に、上杉氏にとって春日大神は大切に信仰された神様。上杉神社参拝の折には、こちらも是非ご参拝下さい。
菱橋(秘し橋)と上杉神社の間にある上杉家が大切にした神社です。祭神は春日四柱大神(春日権現)です。日本武道の神様である武甕槌命と経津主命、藤原氏の祖神である天児屋根命と比売神の夫婦が祀ってあります。この神社の歴史は、藤原上杉氏の変遷と、上杉鷹山公時代前後から今日までの米沢の政治的な宗教被害を漂わせています。天徳2年(958)に藤原遠成が領内の平和を祈るため越後国(上越市)春日山頂に奈良の春日大社を分霊したのが始まりです。永徳元年(1381)に長尾高景が春日神社の境内に春日山城を築くと、明応6年(1497)に父・長尾能景の追善供養のため長尾重景が、林泉寺を創建して神仏習合しました。長尾景虎(上杉謙信)が家督を継ぐと、上杉家の氏神として代々信仰されるようになり、上杉家と共に、会津、米沢へと移動してきました。江戸時代には、衰退した米沢藩を救った第9代米沢藩主鷹山公が、家督を継ぐ際に上杉家と米沢藩の再建を願って極秘に誓詞を奉納しました。「民の父母の心構えを第一とする。学問・武術を怠らない。質素・倹約を忘れぬ。賞罰は正しく行う」と。【誓詞】一、文學壁書之通無怠慢相務可申候一、武術右同断一、民之父母之語家督之砌哥ニモ詠候ヘハ此事第一思惟可仕事一、居上不驕則不危又恵而不費ト有之候語日夜相忘間敷候一、言行不齊賞罸不正不順無禮無之様愼可申候右以來堅相守可申候若怠慢於仕者忽蒙神罸永可家運盡者也仍如件明和四丁亥歳八月朔日上杉彈正大弼藤原治憲敬書元々は春日山林泉寺にありましたが、明治時代の神仏分離令によって、米沢城内の大乗寺が神職となり、現在の場所に遷座しました。大正8年(1919)に米沢大火で焼失し、松岬神社に合祀されていましたが、昭和56年(1981)に社殿が再建されました。境内には、第二次世界大戦で傷ついた御霊を嘆き悲しむ、護国と恒久平和を願った傷痍之碑も建立されています。
上杉神社の左隣りにひっそりとありました。
春日神社は米沢藩主上杉家の氏神で、現在上杉神社の南端に鎮座する社は米沢大火での消失ののち再建されたものです。
💮上杉謙信の偉大さを感じました🙇
上杉神社の末社として、ひっそりと鎮座されています。戦国時代の上杉家は、代々春日社を守り神として敬っていたようで、藩主の移封と共に、会津・米沢と移って来たそうです。
名前 |
春日神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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隠れるように建っておりましたが歴史好きの方は是非お立ち寄り下さい。