八塔寺で感じる若い息吹。
恵日山高顕寺の特徴
岡山県備前市の高野山真言宗に属する仏教寺院です。
不動明王を本尊とし、728年の創建が伝わる歴史ある寺院です。
若い息吹を感じる活気ある雰囲気が魅力的な場所です。
良い景色です。
八塔寺がどんな所かを観に行った。藁葺き屋根の古民家が現役で使用されている懐かしい風景に癒やされた。左が真言宗高顕寺、右が廃寺になっているのか無住の天台宗八塔寺。
普通のお寺さんでした。
‼️感動をありがとう‼️とても明るく誠実、気さくに声を掛けて頂きました✌️お話をしていて、元気を頂きました❣️過疎化が進む今、八塔寺に、若い息吹をしっかり吹き込んでいるなあ〜って感じました‼️
私の両親がお世話になっております。
静かで悠久の歴史を感じさせるスポット。
名前 |
恵日山高顕寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0869-85-0112 |
住所 |
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評価 |
4.2 |
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恵日山高顯寺所在地:岡山県備前市吉永町加賀美1221位置:北緯34度55分8.41秒東経134度15分13秒山号:恵日山(えにちさん)宗派:高野山真言宗本尊:不動明王創建年::(伝)728年(神亀5年)開基:(伝)道鏡中興年:1633年(寛永10年)法人番号7260005007776高顕寺(こうけんじ)は、岡山県備前市吉永町八塔寺ふるさと村にある高野山真言宗の仏教寺院。山号は恵日山(えにちさん)。本尊は定朝作と伝えられる不動明王(秘仏) 前立の本尊は愛染明王像。旧和気郡八十八霊場巡り第四十七番札所概要[編集]JR山陽本線吉永駅から八塔寺川に添って上がると備前、播磨、美作の三ヶ国にまたがる海抜539メートルの八塔寺にある。元来は聖武天皇の御代に僧道鏡の開基と伝えられる古刹で、住時は山岳仏教の中心地として名を成した土地である。盛時には八院六四僧坊や十三重塔など仏塔が建てられたとされる聖地あったが、1517年(永世14年)に光石城主浦上掃部介宗の兵火にかかり堂塔伽藍はほどんど焼失。さらに天正19年1591年には寺領が召し上げられるなど、寺は荒廃することになった。1663年(寛文3年)池田綱政が、本堂・三重塔・鐘樓・山王社・本社拝殿等が整えられる。1974年には県下で初めて、山上全体が、八塔寺ふるさと村 (岡山県)として登録され、保存・整備が行なわれている。恵日山縁起[編集]古代より山岳宗教の聖地として崇められた当地は、古代の製鉄技術者集団が活躍した歴史を持ち、かつては「八頭霊(はっとうち)」と呼ばれたが、やがて八塔寺(はっとうじ)に転化し、八塔寺山(堂山、行者山とも称す)、八塔寺村となった。当山は、奈良時代、神亀5年(728年)聖武天皇の勅願により、鑑真和上(688~763年)或は道鏡法印(700~772年)によって開基された。(寺伝より)本尊として行基菩薩作の十一面観世音菩薩の霊像を祀る。平安仏教のよき理解者であった和気清麻呂公一族の庇護を受けて栄え、多くの高野聖が集り「西の高野山」と称された。また、近隣には多くの薬草が地生し、八塔寺の僧侶が作る薬草は有名であった。後年、生活に困窮した八塔寺の僧侶たちが、この薬草を売り歩いて生計を立てたこともあるという。幾多の変遷の後、元暦元年(1184年)右大将源頼朝公により、鎌倉幕府の祈祷所として塔堂・僧舎が再建され、十三重の塔や七十二の寺院が建ち並び、盛隆を極めた。南北朝時代に戦乱により本堂・伽藍等が焼失したが、江戸時代に入り、池田藩により再興された。寛政年間にまたも灰土に化したが、幸いにも本尊の十一面観世音菩薩の霊像は在し続けられた。文化13年(1816年)国司の提唱により、当山中興の祖、妙道上人により再創され、天保3年(1832年)、真言宗と天台宗は別山精舎を経営するに至り、定朝作十一面観世音菩薩の霊像を祀る 天台宗「照鏡山八塔寺」と、当山、定朝作の不動明王の霊像を祀る 真言宗「恵日山高顕寺」とに改号し、現在に至る中世には、多くの出家修行者が集り西の高野山と称された。十三重塔、三重の塔、8院、64僧房計72の院坊があったという。(明王院・宝寿院・三宝院・弘法院・常照院・寂院・徳院・善院)(浄徳房・法潤房・賢房・大善房・万代房・妙賢房・了得房・東南房など)。境内社:稲荷神社(2019年2月22日魂入れ)鎮座御祭神:荼枳尼天(だきにてん)雙(双)身毘沙門天《ソウシンビシャモンテン》宇賀神(うがじん、うかのかみ)