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名前 |
川鉄久慈工場ドバ砂鉄採掘場跡(ジオサイト) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
日本の近代製鉄は輸入鉄鉱石に頼っているが、江戸期の製鉄は砂鉄を原料とした「たたら製鉄」によるものであった。幕末に釜石で磁鉄鉱が発見され、磁鉄鉱による高炉製鉄が始まった。初期には高炉とはいっても還元剤はコークスではなくたたら製鉄と同じ木炭が使われていた。明治初期には三陸の豊富な砂鉄と木炭となる豊富なコナラ、ミズナラ林を背景に小規模な高炉がつぎつぎに作られた。その後近代的な輸入鉄鉱石とコークスによる大規模高炉による製鉄ががおこなわれるようになると中小の木炭高炉は廃止され、三陸では釜石だけが製鉄の街として栄えた。昭和16年(1941)日中戦争・太平洋戦争により鉄の需要増と輸入鉄鉱石の供給不安から川崎造船は砂鉄に回帰、久慈に砂鉄を原料としたクルップ・レン法による製鉄工場を建設、炭素含有率の高い特殊鋼を1967年まで生産した。旧八戸藩領の久慈地方は山砂鉄の産地であり、豊富な木材資源と相まって江戸期から製鉄が盛んであった。80万年前の浅い海底に堆積、比重分離して堆積した厚い砂鉄層がその後の隆起により地上にあらわれたものである。ここのドバ砂鉄の採掘は小久慈の元山地区の資源が枯渇したのちの採掘場所であったが1967年の工場閉鎖のため採掘も停止された。単なる採掘場の跡ではあるが、砂鉄の層の交叉層理(クロスラミナ)が見られるなど地質マニアなら一見の価値はある。ただし場所が場所で大野高校の野球グラウンドの一角なので、部活練習中には入りにくいのがやや難点だ。ジオサイトなので、三陸ジオパークの案内板があるので、それを頼りとして欲しい。