武田四天王の勇士、感慨深い石碑。
内藤修理亮昌豊公之墓の特徴
天王山での壮絶な最後が感慨深い場所です。
武田四天王の意義を感じる立派な石碑があります。
本陣の側に位置し、歴史を体感できる場所です。
内藤昌豊公はいわゆる武田四天王の1人です。武田軍の副将格として信玄公のほとんどの合戦に従軍して、その都度手柄をたてた人物とされます。多くの手柄をたてましたが「内藤昌豊ほどの人物ならこれくらい当たり前」とされ、感状をもらうことは一度もなかったとされます。信玄公からは絶大な信頼を得ていましたが、武田勝頼公とはあまり上手くいかなかったようです。勝頼公からわざわざ「今後は粗略には扱わない」旨の手紙を受け取ったりしています。長篠・設楽原の戦いでは馬場信春公と共に殿を務め、最期は今川家臣の朝比奈泰勝公に討ち取られたとされています。
勝負が決した後、主君勝頼公を甲斐へ逃がす為、馬場信春公と共に踏み留まり、殿として奮戦され、壮烈な討ち死をされた武田家忠臣です。黒澤監督の影武者では志浦隆之さんが演じていました。
勝頼に戦場離脱を勧め、天王山で壮絶な最後を遂げた場所として感慨深いものがあります。
武田四天王、典厩信繁亡き後の武田副将格。
立派な石碑でした。かなり字は霞んでましたが。
本陣の側にあります。
名前 |
内藤修理亮昌豊公之墓 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.1 |
周辺のオススメ

武田軍の武将。武田四天王の一人。内藤修理亮正豊の墓。