宇喜多直家の足跡へ登ろう。
乙子城跡の特徴
自然に囲まれた登山道からの景色は珍しい体験ができますよ。
連郭式山城の迫力ある遺構が山中にひっそりと残っています。
宇喜多直家が守った戦国時代の歴史を感じられる城です。
宇喜多直家が6歳の時に砥石城(祖父の宇喜多能家もしくは曽祖父宇喜田久家が築城)から追われ16歳の時に浦上家に士官し最初に与えられた城で瀬戸の穴海の入り口で最初に標的になるこの城を30人程でまもり後に砥石城を落とし新庄山城へ移り宇喜田忠家が乙子城宇喜田春家が砥石を守る 山頂が本丸で神社が曲輪と思われる ここからどのような気持ちで砥石城を眺めていたのだろうか…この城では貧しく食べるものにも苦労しこの頃からの家臣との絆は相当強かったそうです。
大国主神から更に登ると到着します。
連郭式山城築城主、宇喜多直家遺構、曲輪、土塁本丸までは、簡単にあがれます。曲輪に石積みが残ります。駐車場はありませんが、広い場所があるのでそこに停車し、登城しました。
おとご城。天文13年,浦上宗景の命により16歳の宇喜多直家が城砦を構え城主となった。直家最初の持城で国とりの始まりの地とされる。直家は5年後新庄山城に移転し舎弟の浮田忠家を城主とした。乙子山頂上が本丸で乙子大明神が二の丸とされる。本丸登り口はいくつかありますが直ぐです。
城跡北西側のスペースに駐車でき、北西側に案内板、鳥居のところが登城口となります。急な階段でお社を過ぎて登ると本丸に着きます。本丸からは木々はありますが、北から西のほうを眺めることができます。東西に長く南側に4,5段位?の段々の曲輪があり、南東側に降りるとやや広目の空間に墓場があります。南縁に虎口のように見えました。南東側に少し張り出した高台に神社が有ります。鳥居から南側を眺望できます。階段降りて川を挟んで南東側から城跡全体が拝めました。昔は城跡南側は海となる河口の出っ張りにあり、周辺は低湿地と思われ、今とは全然異なる風景だったかと思われました。
岡山城を建てた宇喜多直家公が初めて統治したお城で大変楽しみだったが、山自体はそこまで高くなく、直ぐに頂上へ更には頂上には特にこれといったものが無く、一つだけ説明するものがあるだけで見所があまりありません。
登山道が整備されており、直ぐに頂上に登れます。曲輪跡が墓場として利用されているようで後世の改変はありますが、城跡であることはわかります。
宇喜多直家縁の城。小さな城たが、吉井川を抑え、周辺の平地を見渡せる要地なのは登れば一目瞭然。頂上まで階段で整備されているが、神社脇からの登り口は急である。
千町川の橋を渡り吉井川との間の標高40m程度の丘陵に位置する。表記番地前の登り口付近は宅地で道が狭く、駐車場は近くにはない乙子大明神の鳥居をくぐり参道を登り墓地を過ぎて登ると、標高約40mの山頂に本丸跡がある。二の丸跡は乙子大明神の敷地となっている。そのほか腰曲輪は墓地になっている。この地に城が構えられていた時代は、丘陵は河口に突き出していた。その丘陵に連郭式に曲輪が構えられていた。
| 名前 |
乙子城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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おとごじょう。「宇喜多直家国とりはじまりの地」の石碑近くの路肩に駐車しました。目の前の大国主を祀る神社の鳥居から登城します。登りきった所が主郭です。そこから少し東側に降ると、堀切のようなものが現れます。そのあたりは墓地になっているので、城の遺構なのか不明です。そこから少し上がると、乙子神社のある副郭に着きます。神社は低土塁に囲まれていますが、これも後世のものなのか不明です。