奥州道中、歴史を感じる旅。
奥州街道終点記念の碑の特徴
奥州道中の歴史を感じさせる記念碑です。
徳川家康公の整備した五街道の一つに位置します。
昔の道の面影が伝わる場所として訪れる価値があります。
記念碑だけですが、昔の奥州街道はもう分からないですね。
来たなーって気持ちが高ぶります。
普段、当たり前に通っている道路。善知鳥神社の鳥居の前まで来ると、つい見過ごしてしまいそうな小型の石柱が2本仲良く並んでいます。1本は「奥州街道終点記念の碑」で、もう1本は「青森市道路元標」です。「奥州街道終点記念の碑」は、黒の御影石で作られた立派な石柱で、比較的新しく平成3年に設置されたそうです。奥州街道は、日本一長い街道(900キロに及びます)として知られ、江戸日本橋を起点とする五街道の一つ。終点がどこになるのかは、諸説があるようですが、江戸時代初期に書かれた書物によれば、当時、弘前城を拠点としていた弘前藩(通称名:津軽藩)の出先機関が、善知鳥神社のあるこの安方に置かれていて、そこが奥州街道の終点であると書かれているのだそうです。横にある「青森道路元標」が、道路の起点や終点を表す標識として国道4号線(日本橋-青森)の終点を表していることからしても、起点を同じくする奥州街道の終点もここなのだろうこともうなずけますね。
名前 |
奥州街道終点記念の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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徳川家康公により五街道が整備されたが、そのうちのひとつである奥州道中は日光道中宇都宮宿から分岐し、陸奥國白河宿(福島県白河市)先の女石追分までが幕府道中奉行の管轄となっていた。女石追分以遠は各藩の所管となっていた。白河から先も奥州街道は続き、青森善知鳥(うとう)神社前が終点となっている。隣には青森市道路元標が残っている。道路元標は大正9年施行の旧道路法によって全国全ての自治体に1基、漸次設置されていったもの。