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名前 |
開拓使三角測量 一本木基点 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
基線とは日本の三角測量の基点となる直線(基線)の一つであり、その両端からの角度を用いて三角網を形成して広げていく為に、基線の距離測定は精密さを要求されます。北海道開拓使は正確な北海道地図を作成するため、明治6年(1873)3月、米人ワッソンを測量長に三角測量事業を開始、勇払と鵡川間の約14,860mの基線を画し、その両端の基点に標石を建て勇払基線を設定した。翌7年、米人デイがワッソンに代わって測量を行ったが、勇払基線を検証するため、明治8年、函館に助基線を設定することとなった。同年5月デイは荒井郁之助とともに函館付近の地勢を調査した結果、亀田郡亀田村(現函館市田家町)と亀田郡一本木村(現北斗市一本木)の間に基線を画すことに決定。10月下旬に勇払基線の測量を終えた村田千万太郎の一行が函館に戻り、11月中に亀田村と一本木村の基点に標台と標塔を建て、基線の予備測量を終えた。精密な測量は翌9年6月になされたが、その測定値は2里1町15間2尺3寸4分(約7,990.819m)といわれている。北海道の三角測量事業は、我が国における本格的な三角測量の先駆をなしたもので、この標石は日本の測量史上、極めて重要な意義を持つものである。