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平安時代に最上級の貴族邸宅だった「堀河院」跡を示す石碑と解説板が、京都堀川音楽高(京都市中京区)御池通正門前に建立されたと京都新聞の記事(2023年9月12日)があり訪問してみた。真新しい石碑と解説板があった。以前は、中京区堀川通二条下る東側にあった京都国際ホテル前にホテルを運営していた藤田観光株式会社が建立した「堀河天皇里内裏址」という石碑がありましたが、ホテル ザ ミツイ キョウトに建替えられてから同所にありませんでした。また、全日空ホテル敷地の駐車場内には「堀河院苑池の滝の口跡」の銘板が設置されており、このあたりが平安時代に貴族邸宅だった「堀河院」があったことがうかがい知れます。堀河院とは平安京左京三条二坊九町から十町にかけてあった太政大臣の藤原基経(836年~891年)の邸宅を堀河院(堀川殿)と呼んだ。その邸宅を関白藤原兼通(925年~977年)が改修した後に円融天皇(959年~91年)の里内裏となった。以後白河天皇(1053年~1129年)・堀河天皇(1079年~1107年)・鳥羽天皇(1103年~56年)の里内裏となった。とりわけ堀河天皇は当院を愛用され、ここで成長し受禅し崩御された。平安京における名邸の一つとして知られたが、焼失後再建される来なく廃絶した。