杉田玄白の先駆け、山脇東洋の解剖碑。
杉田玄白の解剖の17年前の宝暦4年(1754年)、山脇東洋は六角大宮にあった六角牢獄で刑死人の解剖を行い、解剖記録「臓志」を記しました。その後も解剖を続け、14柱の供養碑が誓願寺の墓地に建てられたそうです。
名前 |
山脇東洋解剖碑所在墓地 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na046.html |
評価 |
4.5 |
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中京区新京極通三条下る東入(誓願寺墓地入口)にあるのが「山脇東洋解剖碑所在墓地」の石碑になります。江戸中期の医学者である山脇東洋は六角大宮にあった六角牢獄で死刑囚の遺体を使って日本で初めてとなる人体解剖を行った。この時の解剖記録を記した『臓志』があります。その遺体は誓願寺に葬られました。その後も山脇家で続けられた人体解剖による遺体14柱の供養碑が誓願寺の墓地に建てられています。