歴史を感じる坂越の大避神社。
大避神社の特徴
宝珠山麓に位置する、秦河勝を祀る珍しい神社です。
神仏習合が見られ、歴史的な建造物が点在しています。
生島に埋葬されている秦河勝のお墓も訪問可能です。
秦氏を辿って赤穂へきました。秦河勝の最期の地と伝わります。海岸が公園になっていて山手に向いて参道になります。対岸の島に河勝の眠る古墳があるそうです。 古くからの禁足地です。威光感じる素敵なお宮です。 偉業と崇敬は受け継がれ大切にお守りされています。
【大避神社のご由緒】祭神は 秦河勝・天照皇大神・春日大神をお祀りしています。創建時期は明確ではありませんが、『播磨国総社縁起』(養和元年・1182年)にはすでに有力な神社として記されていることから、古くから地域に深く根付く社であったことがうかがえます。現在の社殿は、本殿:明和6年(1769)再建拝殿・神門:延享3年(1746)再建と、江戸期の姿を今に伝えています。また、境内の絵馬堂には 40点もの絵馬 が掲げられ、その中には 280年前に奉納された貴重な船絵馬 も現存しています。【坂越の船祭り】大避神社の秋の大祭である 「坂越の船まつり」 は、平成24年(2012)に国の重要無形民俗文化財 に指定されました。用いられる祭礼用和船は 兵庫県指定有形民俗文化財約350年の伝統を誇る、瀬戸内三大船まつり の一つ神輿を船へ乗せる「バタ板の橋架け」の練りは勇壮で、12隻余りの祭礼船が国指定天然記念物 「生島」 のお旅所まで渡御します。獅子舞、雅楽、供奉員らが乗り込み、櫂伝馬が先導しながら約1時間の船渡御が行われます。夕暮れには船に提灯が灯され、かがり火が焚かれる中、幻想的な還幸が営まれます。まさに 他に類を見ない幽玄の祭礼 です。【ご祭神・秦河勝公について】秦河勝公は、中国から渡来した秦氏の後裔で、氏族の長として朝廷に仕え、特に 聖徳太子から厚い信任 を受けました。会計制度の創始外国使臣の接待役太子より授かった仏像を奉じ 広隆寺を建立など、多くの功績で知られています。また、神楽を創始・制定した人物 と伝わり、現在では 楽家の祖・能楽の祖 としても崇敬されています。皇極3年(644)、太子亡き後の蘇我入鹿の迫害を避け、海路により坂越浦へ。千種川流域の開拓を進め、大化3年(647)に80余歳で薨去。その御霊は神仙化され、村人が朝廷へ願い出て祠を建てたことが、大避神社創建の始まりと伝えられています。現在も周辺30余村に分社が祀られ、開拓神・航海安全・災難除け・交通安全・厄除けの守護神 として広く信仰されています。
大避大神と天照大御神を御祭神とする神社。創建時期は不明。1100年代には既に存在していた。御利益は厄除け開運。大避大神とは秦河勝を表す。聖徳太子の家臣であったことから出世の御利益もあると云われています。神社は蘇我氏に追われて辿り着いたこの場所で秦河勝が創始したという伝説もあるが定かではない。石段を上った小高い場所に境内はあります。社や神門は1700年代中盤に再建された物で全体的に古びた趣き。しかし建物自体はしっかりしており老朽化はあまり感じない。拝殿の格天井には花や鳥、虎の絵が描かれています。殆どが鮮明さを失っているものの見所のひとつで味のある雰囲気です。他にもかなり古い絵馬が多くあるので興味のある人には刺さる神社だと思います。国の重要無形文化財である坂越の船祭りは毎秋に行われ、瀬戸内三大船祭りのひとつとされる。境内には祭礼用の木造和船も置かれており、こちらは県の有形民俗文化財に指定されています。神社の正面に浮かぶ生島は御祭神である秦河勝の墓があるとされており立入禁止です。御朱印あり。基本的に無人神社なので居ない時は電話連絡となります。無料駐車場あり。市の観光駐車場に停めるのが一般的となる。距離は神社まで約300m、徒歩5分程度。神社付近まで車両は進入できるが路駐できないので注意してください。
秦氏の末裔、聖徳太子の右腕と言われた秦河勝公をお祀りするお社。坂越の浜を見下ろす高台にあります。聖徳太子がお亡くなりになったのち蘇我入鹿の迫害を避けるため、乙巳の変の1年前の644年に海路で坂越浦に辿り着き、647年にお亡くなりになりました。坂越での3年間で土地の開発に尽力されたことから、死後まもなく村人が祠を立てて秦河勝公をお祀りしたのがはじまりとのこと。秦氏の祖神をお祀りする京都の大酒(大避)神社と同じお名前。駐車場は、バイクなら坂を登った先の階段の下に停めることができますが、車の場合は難しそう。浜の観光駐車場から歩いた方がいいかも。
渡来人秦氏に所縁の深い神社坂越の船祭で前方坂越湾に浮かぶ生島の御旅所に櫂伝馬船に乗った神輿が渡御する様は圧巻背後の宝珠山にある妙見寺は元当社の神宮寺で今でも神門の裏面には仁王像があるなど神仏習合の名残がある。
【大避神社(おおさけじんじゃ)】2024.6.22㈯毎年10月第2日曜日に行われる「坂越の船祭」が国の重要無形民俗文化財に選定されています。拝殿には船渡御に用いられていた「楽舟」が保存展示(写真)されています。神社前方坂越湾に浮かぶ周囲2キロ余りの小島は「生島(いきしま)」と呼ばれ、その樹木(生島樹木)が特別天然記念物に指定されています。拝殿両翼の絵馬堂には四十数枚におよぶ大小の江馬が掲げられています。(由緒書きより)私の好きな龍の絵馬が結構あり迫力がありました。拝殿の模様の彫刻も細かくて立派でした。随神門が正面の随神2体と裏の仁王像2体が背中合わせに安置されているのが珍しいと思いました。神社から坂越湾と生島樹林を見渡せます。御朱印は社務所にインターホンがないので代表番号に電話すると近くの宮司さんの自宅に転送されるみたいで、社務所まで来てもらい書き置きの御朱印(1種類、300円)を頂きました。合わせてお清めの塩も頂きました。車は近くの公民館?前の土の更地(坂越小学校跡)に停めれます。その横には広い展望広場もあります。
海運で栄えた坂越を守る大避神社。神社なので狛犬も鎮座していますが、門を通って反対側を見ると本来なら仏を守るはずの立派な仁王像がありました。神社の奥には海運の安全を祈願して奉納された立派な絵馬も見る事ができます。坂越大道を駅の方から海に向かって歩いた先にある駐車場から徒歩3分ほどで行けますので、是非参詣してみてはいかがでしょうか。
主祭神 大避大神(秦河勝公)天照皇大神春日大神社格等 旧県社創建 大化3年(647年)頃秦氏は4世紀頃に秦国から百済を経由して日本列島の倭国へ帰化した有力氏族。弓月君の直系子孫にあたる秦河勝は聖徳太子の側近として仕え、聖徳太子の死後、蘇我入鹿の追撃を避けて坂越に逃れた。千種川の開拓を進め、647年没。坂越湾の生島に葬られた。生島には秦河勝の墳墓がある。赤穂を開拓した大避大神を祀る神社は、旧赤穂郡に28以上もあったそうです。12のミステリー⚫︎大避神社の山門から拝殿へ上る階段は12段。⚫︎境内にある井戸は12本の石柱で囲まれている。⚫︎秦河勝が12人の従者とともにこの地に漂着したのが9月12日。⚫︎例祭で生島への海上御渡に使われる船は12隻。⚫︎神社を守る社家は12家。
パワースポット大避神社。10月に坂越の船祭りが実施されます。大化3年創建。由緒正しき神社です。立派な神門をくぐると、正面に拝殿が望めます。拝殿裏の本殿には、行くことが出来ません。拝殿両サイドが絵馬堂になっており、立派で貴重な絵馬が掲げられ、中でも船絵馬が素晴らしいです。拝殿の右奥には、和船が設置されており、船祭りで使用されるそうです。当日は、12隻の和船が海上を巡行するそうです。船祭りは、瀬戸内海三大船祭りの一つに数えられる。境内は、厳かな空気感が漂います。御朱印は、書置きに日付を入れて頂きました。
| 名前 |
大避神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0791-48-8136 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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2026年の元日に訪問しました。地元の方に大切にされている神社のようで混雑はしていないですが、常に数組が訪れてくるという状態でみな神主さんとも仲が良さそうで、節目節目に参拝なさってるんでしょうね。神社のある坂越が海を愛でて共に生きる町ということもあって、神社の門からも美しい海辺と古い町並みが眺められます。専用の駐車場はありますが、規模が大きくないので、歩いて3分ほどにある無料の観光駐車場を使うのがおすすめです。スペースも広いので駐車苦手な方でも絶対安心。ちなみに神社を登っていくと展望広場や妙見寺というお寺にもいけるので時間と体力に自身がある方は訪れてみては。