旭山記念公園すぐの窯、発見!
札幌焼窯跡の特徴
大正3年設立の札幌陶器製造の歴史を感じられます。
旭山記念公園に近く、アクセスしやすい立地です。
窯の存在に驚き、訪問者を魅了するスポットです。
こんな場所に窯があったなんて知りませんでした。
大正3年10月、 札幌群藻岩村大字円山村に札幌陶器製造(株) が 設立されたが、翌年になって解散しました。 これを中井賢次郎 (三国屋支配人)が引継ぎ、 中井陶器工場として新発足しましたが、 大正14年10月収支償わず閉鎖されました。 この間、 生産された製品 を札幌焼といいます。札幌焼は、円山付近の粘土、 豊富な沢水と林内のマキ材料に依存 して起業されました。 窯は登り窯で三基ほどあり、大きい窯は、焼成 室(間)が六つほどありました。札幌焼は実用品で、かめ、はち、すりばち、 花びん、 茶わん 、 とっくり、きゅうす、 湯たんぽ、 沈子 (網用) などが知られています。
| 名前 |
札幌焼窯跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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2025·R7.7.12訪問、旭山記念公園正門入口すぐ手前右側にあります。大正3年10月に当時の札幌陶器製造(株)が設置したのを、翌大正4年の解散に伴い中井賢次郎が"中井陶器工場"として引き継いだものの結局大正14年10月"収支償わず"に廃業しました。そのわずか10年ほどの間に生産されたのが「札幌焼」と云われるもので、ちゃわん,とっくり,湯たんぽ,網用沈子(漁網のおもり)などの実用品を作っていたそうで、その札幌焼の窯がここにあったそうです。窯は"登り窯"と呼ばれる造りで3基(大きな窯は焼成室が3つ)あったとのことです。中井陶器工場の閉鎖から40年以上経て存在すら忘れられていた"札幌焼"でしたが、旭山記念公園の道路や駐車場の造成中に煉瓦製の登り窯が発掘され再び陽の目を見ることとなり、"さっぽろ·ふるさと文化百選"にも選ばれています(No'48)。1977年に当時の中井陶器工場の中心的陶工だった涌井広三さんの甥である涌井辰男さんが開設した「北辰窯」により"札幌焼"が復活しましたが、その涌井辰男の没後、辰男さんと親交があったという阿妻一直氏が御遺族から許諾を得てその呼称を"札幌焼 盤渓窯"として引き継いでいるそうです。