昭和7年創設の手稲村道路元標。
手稲村道路元標の特徴
手稲村道路元標は歴史的な石碑で、昭和7年に設置された由緒ある地です。
交通や物流の起点として手稲村の歴史を見守り続けてきた目撃者でもあります。
手稲コミュニティセンターの横にひっそりと佇む歴史的な存在です。
大正時代に設置され、かつて手稲村の交通や物流の起点として地域をひそかに見守り続けてきた歴史の目撃者です。普段は何気なく通り過ぎてしまいそうな小さな石柱ですが、そこに刻まれた文字にそっと触れると、馬車が行き交い、人々が熱意をもって街の未来を語り合っていた往時の熱気が目に浮かぶようです。整備された現代の幹線道路も、すべてはこの一歩から始まったのだと思うと、先人たちの歩みに対する深い尊敬とロマンを感じずにはいられません。今やすっかり発展した手稲の街ですが、足元に残されたこの小さな原点は、私たちが歩んできた道のりの正しさと誇りを静かに語りかけてくれます。歴史好きはもちろん、街への愛着を深めたいすべての人にそっと訪れてほしい、心に染みる隠れた名所です。
歴史を感じます。
札幌郡手稲村道路元標(さっぽろぐん ていねむら)昭和7(1932)年に設置されてから設置場所が何回か代わり、開村記念碑と合わせて設置された。昭和26(1951)年11月、町制施行。昭和42(1967)年3月、札幌市に編入されて手稲町は消滅。説明板によると、手稲村道路元標は元々ここから北西に300m弱のところに設置された、とある。
札樽道手稲インターを降りて坂を下り5号線の手前100mほどで左折、100mで左側に石碑が見えます★説明板から引用北海道及び手稲村の道路の起点終点として、昭和7年(1932年)に初めて設定されたものです。その後、数度にわたる役場庁舎の移転改築によって元標も移転しましたが、昭和60年(1985年)9月に改めてこの地に再建されました。★札幌市手稲区役所HP「手稲の130年を駆け足でから」よりチョイかじり(和暦 明治5年1月 西暦1872年)旧仙台藩白石支藩の50戸が三木勉(みきつとむ)を取締として上手稲に入植、この時を開村とする。その後昭和26年に町制施行によって手稲町となる。昭和42年(1967)札幌市に合併その後道路元標の役目もなくなり、この地に改めて設置保管される。すぐ北西側にある手稲コミュニティーセンターが町役場の名残ではなかろうか?
| 名前 |
手稲村道路元標 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
手稲区手稲本町の「手稲コミュニティセンター」の横にひっそりと佇む「手稲村道路元標」は、北海道およびかつての手稲村における道路の起点や終点として、昭和7年(1932年)に北海道庁によって初めて設置された由緒正しき歴史的標石です。当時の交通網の基準点として大変重要な役割を担っていたこの石碑は、その後の数度にわたる役場庁舎の移転や改築の波にのまれてあちこちを大移動するという数奇な運命をたどりながら、昭和60年(1985年)9月に現在の場所へと改めて愛を込めて再建されました。なお、現在の設置場所から北東方向へおよそ270メートルの場所にかつての最初の設置場所があったことも、現代にしっかりと伝えられています。現代の落ち着いたコミュニティセンターの片隅にありながら、一歩その姿に目を向けると昭和初期の開拓・交通ロマンがダイナミックに蘇ってくるこの手稲村道路元標は、手稲のディープな歴史の足跡をしみじみと辿るにはこれ以上ない極上のスポットです。