小樽港の偉大な技術者が生んだ遊び場。
伊藤長右衛門像の特徴
小樽港への愛を感じる史跡であることが魅力です。
廣井勇の後を継いだ偉大な技術者を称える像です。
周辺には倉庫と遊び場があり、散策にぴったりです。
2025·R7.7.19初訪問です。なぜお勧めするのか、①小樽港の築港で廣井の跡を引き継いだのは東大で教授と学生の関係にあった"伊藤長右衛門"、②師である廣井の担当した北防波堤の第一期工事に続き 弟子の伊藤は南防波堤の第二期工事を担当、③廣井が「小樽港の生みの親」なら、伊藤は「小樽港の育ての親」、⑤伊藤の胸像と同じように廣井の胸像もここ運河公園にある、⑥2人の胸像は戦時供出で一度は撤収されながら共に後に再建されている と、これほどのエピソードが揃っていれば見ておかないわけにはいきません。伊藤 長右衛門(いとう ちょうえもん:での生名は 伊藤長市)1875·M8.9.13生~1939·S14.8.30,満63歳(碑文は数えで65歳)没。師匠の廣井は「港湾工学の父」と呼ばれましたが、伊藤は「日本近代港湾建設の父」と呼ばれています。伊藤が行った第二期工事の特徴は"ケーソン"と呼ばれる大きなコンクリートの箱型構造物を所定の場所で水中に沈めて防波堤を作っていく工法(ケーソン進水方式)で、今もケーソンを海上に進水させる"斜路式ケーソン製作ヤード"が残っているらしい。また、伊藤は留萌港,室蘭港,釧路港など道内の主要な港湾·漁港·樺太の港も数多く手掛けているといいます。特に留萌港は極端に波の強い場所であったことから、全てのケーソンを小樽で作って留萌へ廻航するという世界的にみても例のない方法を採ったとのことです。碑文にもありますが、道庁退職後、嘱託勤務であったものの強行軍の公務出張のさなか流行性脳炎でかえらぬ人となりました。死去前年に投じ建設中であった小樽の副防波堤の題字を求められた際に「いや、俺の字なんかいらないよ。それより、俺が死んだら骨を灯台のケーソン中のコンクリートのなかに叩きこんでくれ」と語ったといい、結果的にこれが唯一の遺言になったため、その遺志に従い伊藤の遺骨は防波堤の灯台のもとに埋め込まれて、今なお小樽港を見守り続けているそうです。ぜひここで、師弟2人の胸像をその目で見て頂きたいです。
廣井勇の後を継ぎ第二期小樽港湾土木工事に従事した偉大な技術者。伊藤氏は当時埠頭工事などで用いられていた陸ドックで作成出来るケーソン方式を採用し防波堤建設の工期短縮に貢献。東京帝国大学(現東京大学)卒。『廣井山脈』の一員。福井県大野郡富田村出身。
小樽港の育ての親。
| 名前 |
伊藤長右衛門像 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/15-10/15-10-2853.pdf |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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두건물 사이에 놓여 있는 조각상 입니다.특이하게도 한쪽 건물은 창고,마주보고 있는 또다른 건물은 놀이터 입니다.