昭和59年建立の立派な碑。
昭和59年(1984年)7月15日に建立された記念碑です。否、巨岩と言った方が適切かもしれません。石垣を組んだ上に建つ記念碑といったレベルではなく、なんと1個の巨大な岩石なのです。並べて見ると、ほぼ鳥居並みに大きいって…え?どこの巨石文明??記念碑でここまでやる???わざわざ運んできたのは間違いありません。史料によると、巨岩は高さ3メートル60センチもありまして、どうしてここまで巨大な物体を用意したのかと、唖然としました。そもそもこの岩は、一体どこから持ってきて、どんな経緯でここにあるのでしょうか?その答えは、『高岡百年』という地元郷土誌に書かれていました。昭和56年(1981年)1月、高岡集落の総会で『高岡開基100年記念事業』が決定された際、記念碑を建てることになったまでは良かったのですが、事業委員会の面々が、参考までに石狩市内や当別町、新篠津村などの記念碑を見て回っているうちに、次第に構想というか石碑サイズの要求が、巨大化していったみたいです。この流れを疑問視する人は誰もいなかったらしく、委員会は原石を求め、伊達市や日高町、平取町といった原石産地へと出向き、ゆうに300個以上の岩を見て回りました。都度、原石要求が少しずつ巨大化していったのは想像に難くなく、ついに南富良野町まで出向いて、ベストな原石を発見。誰か止める奴はいなかったのか?と思いましたが、そのような記述は微塵もありませんでした。結果、重さ約43トン、高さ4メートル、周囲8メートル、代金180万円也(運送据え付け費等は別料金)というトンデモないサイズの岩に決定。大切な事なので2度書きますが、このことに満足する人はいても、止める人は誰もいませんでした。昭和57年(1982年)12月10日、大型トレーラーに積み込まれた石碑は、ほぼ一昼夜かけて高岡へと運び込まれ、45トンクレーンにて据え付けられたと伝えられます。そして翌年の冬、原石の題字彫刻に入ったものの、刻字作業だけでも、実に8日間もかかったとのこと。さらに翌年の6月17日から18日にかけて、石碑周囲に芝生が張られ、添石が配置されるとともに、オンコやツゲの樹が植えられ、全作業が完了。昭和59年7月15日、巨岩の前で、高岡開基100年記念事業協賛会による記念式典が行われました。なおこの式典には、当時の岩国市長が招待され、参列した模様ですが、彼はこの石碑を見て何を思ったのやら。私個人としては、また変なモノ見ゲフンゲフン。とはいえ、ここまで巨大だと、ある意味凄いです。何だか通り過ぎるのは勿体ない気もしますので、もしお近くを通りがかる機会がありましたら、是非ご覧ください。
名前 |
高岡開基百年記念碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
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立派な碑です。