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内田瀞は上川郡鷹栖村(現在の旭川市東鷹栖)にあった松平農場の最高責任者を任されその土地の開拓に貢献した人物。土佐藩(現在の高知県)で生まれた内田瀞は札幌農学校の第一期生として入学しました。つまりあのクラーク博士の教え子です。開拓使、農商務省北海道事業管理局、北海道庁と勤務していたが、道庁を依頼退職(理由は不明)。その後鷹栖村で松平農場を経営していた伯爵松平直亮から管理人として招聘される。当時の松平農場は土地が湿地帯であることに加え水害が多発し思うような収穫がなかったが、元北海道庁殖民課長である内田瀞の手で事業が進展し14年で貸付地1337ヘクタールの開拓を完了、松平農場は模範華族農場と言われる成功を収める。その後松平農場は閉鎖され農地が分譲され現在の東鷹栖の農業の基礎となった。内田瀞を偲ぶ碑は松平直亮が東鷹栖に建てた興国神社の境内に建てられている。記念碑の隣には内田瀞の業績を記した碑文が書かれた石碑が建っている。