旧東海道 道標・上知我麻神社跡の特徴
旧東海道と美濃路が交差する歴史ある交差点です。
源太夫社跡として名が知られ、文化的価値が高い場所です。
多数の石碑と案内板があり、情報が豊富に得られます。
旧東海道 道標・上知我麻神社跡。
周辺にある案内役プレートもお見逃しなく。
ARによる再現をするQRコードが看板に記載されています。
小さい場所に石碑と案内板が多数あり情報量が多い場所だなという印象を受ける。
東海道・美濃路の分岐点2024年1月上旬、熱田宿探訪の際に寄りました。説明板と1790年に建てた道標とその駒札が設置されています。説明板には—————————————————————/-尾張名所図会にも描かれている江戸時代の「上知我麻神社」。熱田神宮の摂社で、江戸時代には「源太夫社」とも呼ばれ「智恵の文殊」様としても知られています。江戸時代の「源太夫社」前は、東海道と美濃路の分岐点ともなり、往来する多くの人々でにぎわっていました。・北へ行くと「熱田神宮・名古屋城下」へ、・南へ行くと「七里の渡し(桑名)」へ至ります。「源太夫社」は、戦後の復興事業のため、昭和24年に熱田神宮境内に遷座され、その後、現在の地には、別の地にあった「ほうろく地蔵」が祀られました。場所を変えながら当時から残る「道標」が、在りし日のにぎわいを今に伝えています。——————————————————————現在は裏道で人通りは少なく、建物も近代化されていることもあり、かつて賑わっていたこちらの存在を知らない方が殆どかと思います。
かつては東海道と美濃路、海上七里を迂回する佐屋街道方面の岐路となった場所。付近には現在の国道19号線、および22号線の起点である熱田神宮南交差点があります。面影は少ないが、数々の歴史と交流を生んだ場所に感慨深いものがあります。
熱田神宮の正門から、まっすぐ南方に伸びる路は美濃路である。国道1号線を挟んだ延長線上に美濃路は続いていて、東海道に突き当たる。東海道と美濃路の分岐点のマンションの前には、案内板と共に道標が残されている。この道標の正面には源太夫社という神社があって、その前には高札場が設けられていました。源太夫社は空襲によって消失してしまい、熱田神宮の境内に上知我麻神社として移設されました。現在その跡地には、別の場所にあったほうろく地蔵が安直されています。
「桶狭間の戦い」史跡巡り🏃☆熱田神宮境外社の「上知我麻神社」、昭和24年に都市復興の一環で熱田神宮境内に遷座、熱田神宮を南に行った美濃路と東海道の分岐点に跡地、案内板は平成28年設置⛩️☆太田牛一『信長公記』では、桶狭間の戦いの際に織田信長が東方に昇る狼煙を、この地で確認したと記述あり👀
昭和24年までこの地に鎮座していた、熱田神社境外社、都市復興の一環で熱田神社境内に遷座した。(熱田魚問屋、市場移転も昭和24年)「源太夫社」とも呼ばれていた。(知恵の文殊様としても知られている。)美濃路と東海道の分岐点ともなり、往来する多くの人々でにぎわっていた。今は、別の地にあった「ほうろく地蔵」が祀られている。織田信長が、桶狭間の戦いの際に、東方に二条の煙が立ち上がるのを見て鷲津砦、佐久間盛重が守る丸根砦が陥落したことを知った場所と言われている。丹羽郡大口町堀尾跡の御共所城址(ハ剱社)に上知我麻社が合祀されている。熱田神社の攝社を熱田神宮境内に遷座されたとはいえ、都市復興の一貫で移築して良いものなのか?熱田神宮の神様は寛大なのか、軽く見られているのか?
| 名前 |
旧東海道 道標・上知我麻神社跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
〒456-0034 愛知県名古屋市熱田区伝馬1丁目2−25 シティコーポ宮 |
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