沖縄戦の歴史を深く体感。
沖縄陸軍病院本部壕(山城本部壕 サキアブ)跡の特徴
陸軍病院壕跡は沖縄戦の重要な史跡です。
雨後の湿度で壕の暗さが際立っていました。
古い石標を目印にして訪れる価値があります。
ひめゆりの塔へ行き、その後海岸の集団自決の所へも行こうと思って車を走らせてた所へ古い石標が有り向かいました。私以外は誰も居なく静けさが余計切なくなりますガマの中も入れそうですが花も線香も何も無く入るのは気が引けた為外から合掌。
大東亜戦争戦跡めぐり旧日本陸軍、沖縄戦最終の病院本部壕跡です。南風原から南へ撤退し、ここに本部機能を移転、各病院壕へひめゆり学徒隊を伝令に向かわせました。この壕は、本部機能しかなく傷病者はいなかったそうです。1945年6月14日の砲撃で病院長以下多数死傷者をだし、廣池病院長は戦死。18日には、佐藤病院長代行から各壕へ解散命令が出された、陸軍病院機能は、完全に停止され、組織的行動は終了し、各自自ら行動しなければなりませんでした。その後、各壕へ散ったひめゆり学徒や勤労員達の運命をも分ける解散命令でした。亡くなられた方々へ哀悼の意を表します。
陸軍病院壕-山城本部壕(サキアブ)沖縄戦で徐々に南部に追い込まれていった日本、糸満市には多くの病院壕があるので、そのひとつとしてここを訪れました。ここもやはり先に避難していた住民たちが日本軍の南部撤退で住民は追い出され病院壕となったそうで、ここにはひめゆり学徒題の女子生徒も働いていたそうです。ちなみに各学徒隊への解散命令はこの壕から出されたそうです。
那覇方面から来てひめゆりの塔の手前100メートルくらいに進行方向右手に車一台がと売れるくらいの小道があります。石敢當があり小さな看板で表示されています。第一外科壕とともに道が整備されていなく観光地化されておりません。ひめゆりの塔の盛況と変わってとっても静かで人気もありません。いつ行っても私一人です。平和学習等で使われているのか案内板が設置されたり時期によっては草刈りがされていることもありますが虫よけスプレー、長ズボン等の準備は必要です。しかし、皆様方にはぜひ訪れていただきたい場所です。そして日本のために戦い命を失われた先人たちに敬意と哀悼の意を表しご焼香をお願いいたします。何か感ずるところがあるはずです。
雨降りのあとに行ったからか、壕に落ちる水滴が暗さと相まって気味悪さを増した。1ライトなかったので、5mほどしか入らなかったが、正直怖かった。
深い壕にびっくりです。
名前 |
沖縄陸軍病院本部壕(山城本部壕 サキアブ)跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.6 |
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案内標識も分かりづらく立ち寄り辛い。ひめゆりの塔を参拝した後立ち寄れやすいよう整備してほしい。