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名前 |
荒木神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
荒木神社(あらきじんじゃ)は京都府福知山市堀の室山(親不知、605m)の前山である荒木山(416m)の北東麓(標高180m)に鎮座する神社です。ご祭神天津神(あまつかみ)旧社格 村社延喜式神名帳にある天田郡4座の式内社(小社)広い境内は、社号標石、案内板、鳥居、灯篭、狛犬、拝殿、本殿、境内社などがあります。参道入口には「式内 荒木神社」と刻まれた社号標石が建てられています。鳥居は神明鳥居で「荒木神社」と記された木製の扁額がかかっています。参道入口から本殿までは約10分と眺めの参道になっておりました。下記、案内板を転記荒木神社由来記俗に「荒木の権現さん」と敬愛される当社は、延喜式内社として名高く(延喜式とは貞観元年-八五九年-に日本国内の神社を調べたと「日本三代実録」にあり)。また背景の山を神奈備(かんなび)山とも呼ばれて(神並(かんなみ)山・神南山)と親しまれたが、中古この山に真言宗の寺院を建立当時三十か寺と伝えられ、天神七代・地神五代を十二所権現として栄えた。その後、室町末期には仁木義尹(にきよしただ)が荒木一学と策して篭城し、細川・内藤・波多野らと戦い、また永禄元年-一五五八-荒木勢と丹波の赤井悪右衛門との戦いで度々兵火にかかり、神殿や寺坊を全焼した。その後、徳川時代に-寛文九年-一六六九-福知山藩の寺社奉行、中目権兵衛盛治(もりはる)が朽木稙昌(たねまさ)候に従い土浦から赴任した際に古記を調べて荒木神社を再興した。また拝殿は昭和七年に再建された。例祭は四月十六日である。常盤(ときわ)なる神なび山の榊葉(さかきば)を さしてぞ祈るよろずよの為と藤原義忠は千載集-一〇三六-に詠んでいるが、後朱雀天皇即位大嘗会(だいじょうえ)の際神遊歌として有名である。昭和六十年春(一九八五)文化財について社宝としてはヒヨンの玉があり、昔は何に使ったのかよく知られなかったが、最近に至りこれは祭祀用に使う楽器の笛ではなかろうかと言われ、この玉は姥目樫(うめばがし、ブナ科の常緑樹-広辞苑)に寄生するコブが風に吹かれてヒューヒューと鳴りわたるのを聞いたと言う人もいた。またこの他に、藩主朽木綱貞候の自作「神馬」の図や石灯篭の蓋(ふた)も残っているがその文字は次の通り書かれている。丹波天田郡(ごうり)曽我井庄、荒木山田物皆笑う石灯篭の蓋(ふた)僅に残るのみ仍って(よって)之を補う 天和元年(一六八一)三月吉辰奥州(福島県)会津(あいず)、佐原十郎義連(よしつら)末葉、中目権兵衛尉平盛治(もりはる)昭和六十年春(一九八五)(2023/4/8撮影)