綺麗に整えられた伊勢天照御祖神社。
伊勢天照御祖神社の特徴
天照大御神を御神祭としてお祀りしています。
階段を下る道を経て辿り着く神社です。
距離ある道も訪れる価値がある素晴らしい場所です。
天照大御神が御神祭です。裏側の柵が壊れています。
高良大社へ参拝後、御霊社跡近くの駐車場に車を置き向かいました。途中、一カ所道を間違えてしまいました。(行き止まり)しっかり手を合わせて帰りました。
綺麗に整えられています。
素晴らしいです。
ご祭神は、天照大御神です。創建は、桓武天皇の延暦3年784年9月藤原易興の受奏によって伊勢国山田原より遷座神貢57束が奉られたといわれます。「延喜式神名帳」によると筑後国大小四座のうちの一社で「式内」の古社です。元々は、山麓大鳥居の北(現在の御井小学校付近)にあったが1767年の府中火災を機にして現在地に遷座されました。左右の境内社は、八幡宮と天満宮です。
毎月こ階段を下るような道で、少し距離もありますが、無事にたどり着けてよかったです!天照大神様にご挨拶できて嬉しいです!
伊勢天照御祖神社(いせあまてらすみおやじんじゃ)は 中世に廃絶したとも云われます 室町時代末の『高良社画縁起』では 山麓大鳥居の北(現御井小学校正門付近)に「伊勢」の小祠が描かれていて 明和4年(1767)の府中大火を機として 現在地に遷座されたと伝わります【式内 伊勢天照御祖神社】(しきない いせあまてらすみおや じんじゃ)【御祭神】 天照大神(あまてらすおおみかみ)【御由緒】「延喜式神名帳」所載、筑後国大小四座のうちの一社で、いわゆる「式内」の古社である。天慶7年(944)の『筑後国内神名帳』には、「正五位下伊勢天照名神」とも見える。伝えるところによれば、桓武天皇の延暦3年(784)9月、国司 藤原易興の受奏によって、伊勢国山田原(宇治山田、現伊勢市)より遷座、神貢57束が奉られたという。即ち筑後における最も由緒正しい皇大神宮(内宮)の分祀である。建仁元年(1201)の文書には、単に「伊勢社」とあり、室町時代末の『高良社画縁起』では、山麓大鳥居の北(現御井小学校正門付近)に「伊勢」の小祠が描かれているが、明和4年(1767)の府中大火を機として、現在地に遷座された。同年以降、毎年7月23・4の両日には「灯篭賑」が行われ、参詣者が群集したという。左右の境内社(八幡宮・天満宮)も、古くから山内に祀られていたものを、ここに遷したのである。御祭日 11月13日(摂末社例祭) 高良大社。
| 名前 |
伊勢天照御祖神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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伊勢天照御祖神社(いせあまてらすみおやじんじゃ)。福岡県久留米市御井町。式内社(小)、高良大社境内末社。【祭神】伊勢天照御祖神資料によると、「延喜式神名帳」所載、筑後国大小四座のうちの一社で、いわゆる「式内」の古社である。天慶7年(944)の『筑後国内神名帳』には、「正五位下伊勢天照名神」とも見える。伝えるところによれば、恒武天皇の延暦3年(784)9月、国司藤原易興の受奏によって、伊勢国山田原(宇治山田、現伊勢市)より遷座、神貢57束が奉られたという。即ち筑後における最も由諸正しい皇大神宮(内宮)の分祀である。建仁元年(1201)の文書には、単に「伊勢社」とあり、室町時代末の『高良社画縁起』では、山麓大鳥居の北(現御井小学校正門付近)に「伊勢」の小祠が描かれているが、明和4年(1767)の府中大火を機として、現在地に遷座された。同年以降、毎年7月23・4の両日には『灯篭賑』が行われ、参詣者が群集したという。左右の境内社(八幡宮・天満宮)も、古くから山内に祀られていたものを、ここに遷したのである。とあります。