スポンサードリンク
スポンサードリンク
名前 |
慰霊碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
HP | |
評価 |
3.5 |
この慰霊碑は1969年2月9日午前1時ごろ、「交通事故を起こし、示談で紛糾している」との通報を受け、小山眞之警部補(当時32歳)、新家文孝警部補(当時24歳)らが、阿戸の里トンネル南約50㍍の国道42号で発生した交通事故現場に急行。その後、1時50分から3時10分までの間、実況検分を実施し、3時20分ごろ、関係者らとともに帰署しようとした際、トンネルから出てきたライトバンが警察官の姿を見た直後、トンネルから約10㍍離れたところで停車した。不審に思い、車を挟む形で警察官2人が交通整理をし、小山、新家両警部補が運転者に職務質問を開始したところ、いねむり運転の車が突っ込んできた。誘導中の警察官は「危ない、逃げろ」と大声で叫んで知らせ、東側の土手下約5㍍に飛び込んで避けたが、職務質問中の小山、新家両警部補は逃げる間もなく、暴走車両は小山警部補をはね飛ばし、新家警部補を車の下に巻き込んで約20㍍引きずって停止した。病院に搬送されたが、新家警部補は頭蓋底骨折等で即死。小山警部補も頭蓋底骨折等で収容後に間もなく死亡が確認され、その年の11月に慰霊碑が建立された。との事です。