江戸時代の痕跡、豊前街道散策。
湯谷柳川領境界石の特徴
南関一帯は歴史ある街道や関所が点在していて魅力的です。
古代より戦略上の要衝としての重要性を伝える史跡です。
湯谷柳川領境界石周辺ではたくさんのホタルが見られます。
江戸時代に筑後柳川領と肥後熊本領の国境を示すために建てられたもの。肥後側には木の標識がたっていたという。この境界石は、明治期には不要となり撤去され地元の神社などに保管されていたが、昭和38(1963)年1月県有形文化財に指定されたため、翌年に現在の場所に復元されたそうな。
南関一帯は肥後筑後国境で歴史ある街道や関所がたくさんあり古代より戦略上の要衝として緊張感ある土地だったことが史跡から伺えます。
ホタルがいっぱいいました!!
年に数回豊前街道を歩く方がお見えになっている、四ケ湯谷のシンボルです。
豊前街道の筑後国と肥後国の境界です。案内看板が詳しく書かれています。
豊前街道、坂本龍馬先生が八女を抜けて太宰府にいく際に通ったと書物に記してあります。
藩政時代の貴重な民族資料となる石標です。この石標の場所は以前、知人宅に行く際に車で何度も通っていますが、興味がなく今回初めて石標の意味を知りました。狭い交差点で駐車場はありません。少し広い路肩を見つけ停めました。思ったより車の通行が多いので見学の際は十分注意して下さいね!以下長くなりますが説明板の内容です。〜❁〜❁〜❁〜❁〜❁〜❁〜県指定有形民族財湯谷柳川領境界石(ゆたにやながわりょうきょうかいせき)「所在」大牟田市大字四ケ字湯谷「指定」昭和38年1月16日ここにある新旧2本の境界石は、江戸時代に筑後柳河領と肥後熊本領の国境を示すために建てられたものです。古い方は江戸時代初期に建てられたものと思われ1辺36cmの四角柱の花崗岩で作られています。3つに折れて中段と下段だけが残っており現在高は3mです。 表面の文字は読みにくなっていますが、次のように判読できます。「(従是西)北筑後国立花(左近将監)領内、柳河札ヨリ是迄四里二十町余」( )内は推定新しい方は、古いほうが折れたため江戸時代末期に取り替えられたものと思われます。一辺35cm、高さ3.7mの良質砂岩の四角柱材で作られています。表面には肉太の文字で次のように刻まれています。「従是西北筑後国柳河領従柳河札辻四里二十町余」
豊前街道(参勤交代道)肥後・筑後の国境の境界石。彫られた文字が重厚です。下を流れる小川が境界です。福岡県側(大牟田市)、熊本県側(南関町)それぞれに説明板が設置されています。さすが国(県)境です。
| 名前 |
湯谷柳川領境界石 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
4.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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国境が画定した歴史的記念碑は初見、地元出身者の知遇を得ての賜物です。